相性には“波”がある

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ある物事を続けていくためには“心理的大義”が必要です。

 

 

“心理的大義”ってのは、まあなかなか説明が難しいのですが、その物事を続けるにあたっての、目的とか、そっから得れるものとか、そういったものの集合体です。

 

 

前の記事(正確に言えば前々回ですが)では、“心理的大義”は物事を続けるに必須要素であること、「仲間がいたからここまで続けてこれたんです!!」の‘仲間’は、心理的大義の1部分にすぎない事を書きました。

 

 

この“心理的大義”ですが、実は‘その物事’の側にもあると思います。

 

 

特に人が絡む要素が大きければ大きいほど。

 

 

僕が在籍していた当時の剣道部の顧問に、Y先生という先生がいました。

 

 

2年の初めまで、僕にとってY先生は「剣道やるときは剣道やる。だけど練習が終われば関係ない話とかもするし、総合的に魅力ある先生」でした。

 

 

それがある時期から急に変わります。

 

 

今でもはっきり覚えていますよ。

 

 

僕らと、たぶん1っ個上の先輩も含めて、道場で遊んでいたんでしょうね。

 

 

今から思えば「何やってんねん!!!」て指摘もあるんでしょうが、当時は練習と終ってからの遊びがセットでしたから。

 

 

たまたまそれを見たY先生が激怒しました。

 

 

次の日からY先生が‘剣道一色’に染まったと、僕は感じました。

 

 

当時僕は「剣道ビシバシやって…よりももっと大切な事があるんじゃないか」と思っていたので、段々Y先生との温度差を感じるようになりました。

 

 

当時まだ1つ上の先輩たちがいたので、彼らとの人間関係が楽しくて、そこの‘温度差’の問題は表面化しませんでした。

 

 

ところが1つ上の引退で大きな楽しみを失った僕にとって、その問題が徐々に表面化することになります。

 

 

最終的には、よく覚えてないのですが、何かで怒鳴られて泣いたことを覚えています。
道場でも、家でも。

 

 

そっからは、結局週1回しか練習に行かなくなりました。

 

 

そっから何が分ったかというと、
確かに表面的にはY先生と僕とのすれ違いです。

 

 

だけどY先生が部活を仕切るようになっていたこと、
3年が引退して1年が入ることによる世代交代で、僕と価値観を共有できる人たちが減ったこと(1年生たちは、僕が「楽しかったなあ」と思う剣道部を知りませんから、Y先生の価値観が随所に出る剣道部を‘当たり前’と思いますし)、
で、事実上剣道部と僕とのすれ違いなわけです。

 

 

僕には僕で「仲間と剣道を楽しむ」という“心理的大義”があったように、Y先生が事実上仕切りだした剣道部にも「強い剣道部にする。試合に勝てる剣道部にする」という“心理的大義”があったわけですね。

 

 

さらにもう1個書いておきたいのは、
“心理的大義”には、波がある、という事です。
自分にとっても、相手にとってもね。

 

 

僕は僕で、剣道部入部当初はそこまで‘仲間と剣道を楽しむ’にフォーカスしてたわけじゃないですし、剣道部は剣道部で、僕の入部当初から‘ビシバシ系’だったわけじゃないです。

 

 

考え方云々というのは、変わっていきますから。
新しく生まれることもあるでしょう、モノが変化することもあるでしょう、今までの価値観がなくなることもあるでしょう。

 

 

自分の波動と相手側の波動がかみ合ってるとお互いにとっていい感じで、自分がそれを続けられるわけです。

 

 

逆にそこがかみ合わなければ、僕みたいにそれまで熱中してたものを急に失う事にもなりかねないんですよ。

 

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