陰口の背後に“多数派工作”あり

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僕は中学時代、剣道をやっていました。

 

 

当時僕は「仲間と剣道を楽し」みたく、「試合で勝てる強い奴を作る」方針を随所に押し出してくる顧問のY先生や、先生の影響を受けていく部活と、2年の夏休み以降段々そりが合わなくなっていってました。

 

 

2年から3年に上がる春休み中、練習中にY先生に泣かされてからは、僕は半ば公然と!?Y先生の陰口を言うようになります(‘陰口’言うてる時点で‘公然と’て言えるんかな!?)。

 

 

機会があれば後輩たちに「そんなに厳しくすんのはおかしい」とか、言うてましたね。

 

 

僕らの1個上の代が10人以上いたんですね。

 

 

んで、僕らの代、1個下、2個下、が、ま、大体数人ぐらい。

 

 

Y先生は1個上の代の評判が悪かったんです、僕がY先生の事嫌いになる前から。

 

 

結構みんな「あの先生嫌い」みたいなこというてましたね、何でかは知りませんが。

 

 

下の代の子らの話聞いても、元々あんま芳しいようには思えなかったんで、「な、やっぱりあの先生の考えおかしいやろ。俺の方が正しいわけや!!!」とでも言わんばかりに、後輩に陰口言うてましたね。

 

 

当時僕は、大げさに言えば‘正義は我にあり!!!’ぐらいに思ってましたけど、今になって思うんは
多数派工作してたんやな
と。

 

 

当時僕は「仲間と剣道を楽しむことこそ、人は剣道でもって豊かな人生を送れる」という
‘強い’理念を持っていましたし、そうじゃない、例えばそれこそY先生みたいに「勝利を求めろ」的な考えは、はっきり言って許せませんでしたから、部活がそうなっていかんように、‘必死’とまではいかんでもそれなりに心血注いでたんだと思います。

 

 

しかも、各世代のY先生の評判聞いても“勝てる”と思ってましたから。

 

 

だって十人以上いる1個上のほとんどが「Y先生嫌い」っていうてるんですよ。

 

 

であれば1つの代に多くて数人しかいない下の代に“Y先生嫌い”を、浸透させれる、みたいなことを、無意識のうちに思ってたんじゃあないかと、いう事ですよね。

 

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