さて、
まあ、防衛大学校を受験した僕ですが、
実のところ自衛官より事務官の方がなりたかったですね、当時。
過去のブログに書いてますように
https://detectiveyumeso.com/2017/12/09/
制度設計とかが好きだった僕は、「自衛官より事務官の方が制度設計に携われるだろう」と思ってましたから。
「行政学」勉強したことある人ならわかると思いますけど、
‘ライン&スタッフ’でいうところの「スタッフ職」希望。
自衛官て、どっちかっていったら「ライン職」だし、それも‘考案者’よりも‘実行者’にかなり偏ってるかと。
しかも考案者と実行者の間で人の行き来もなさそうに見えましたし。
旧日本軍では軍隊の人間が政界官界にいったりしてましたから。
(通説的な見解はともかく、少なくとも僕にはそう理解できました、という事で)
何でそうなってるのかって考えた時に、大きく立ちはだかるのが
文民統制
ですよね。
「シビリアン・コントロール」
なんていったりもしますけど、
要は
「職業軍人の最終的な指揮命令権は、文民たる政治家ひいては国民に属する」
という考え方です。
まあ民主主義国家における政軍関係の基本なんですけど。
「軍人が自分たちで軍隊をしきると、どうしても不必要な戦争をしてしまう」
っていう風に、まあ一般ではいわれていますね。
僕個人的には「ずいぶん乱暴な表現やなあ!」と思いますけど、
確かに外交交渉とか経済交流の活発化とかで戦争を回避することはできるだろうし、軍事という自分たちの仕事にまじめに熱心に取り組むあまり、そっち方面のことは「よく分かりましぇん!」とか「そんなんで解決できるわけないやろ!!!」みたいになってしまうのはあるかと。
ついでに書いとくと、
この「文民統制」なんですが、日本の場合少し‘だし’がきいてましてね…
国際的に一般的な「文民統制」は
国民の民意を反映した選挙で選ばれた政治家が、軍を統率する
ということなんですが、日本では
旧総理府防衛庁から、いわゆる‘背広組’が自衛隊の上に立つ
という運用なんですね…
「文官統制」
なんて揶揄されてますけど。
「背広組」
っていうのは、要は官僚ですよね。
つまり、軍事訓練受けるとかは基本なくって、スーツ着て事務仕事やる人たち。
に対して、一般に‘自衛官’と呼ばれる人たちは「制服組」なんて言われますけど。
「文官」「背広組」
まあ意味同じなんですけど、も、広い意味では文民ですけど、試験に受かって成った人らであって、選挙で選ばれた訳ではありませんからね。
つまり、政治家みたいみ民意を反映してるとはいいにくい部分があるから、
「究極的には国民が軍事組織を指揮命令する」
とはいいがたい部分が、多少なりともあるかと。
戦前の日本では、軍隊の最高指揮権は「統帥権」と呼ばれて、天皇オリジナルの権利だったんですね。
別の言い方すれば、
総理大臣とか内閣とか各省庁の官僚とかが軍隊に対して口出しできない
っていう。
「だから軍部が暴走したんだ」
みたいな。
確かに
普通に小学校とかでの‘平和学習’程度の知識だと
「当時の日本政府が1枚岩になって国民を押さえつけて戦争にまい進したんだ!」
風に考えがちですけど、
よくよく調べてみれば全然そんなことはなくって、
軍部、外務省、企画院、内閣、内務省、宮内系、…
それぞれが水面下では‘昼ドラ’ごっこやってたみたいですよ。
特に統帥権はほかの官僚からしたら相当に鬱陶しかったみたいで、
ちょっと軍に何か交渉もちかけようならすぐ「統帥権干犯!!!」言われるわけですから、話なりませんもんね。
そうなるとやっぱり
「自分たちの下に制服連中をおきたい…」
てなってもおかしくはないかと、官僚が…
なにはともあれ、
「文民統制」っていう制度があって、
いいか悪いかはともかく「文官統制」っていうやり方があって、
政治家とか官僚とかが制服組のストッパーやってきたという側面は、確かに否定できないかと。
民主主義国家の基本、そして理想でもある「文民統制」
そして、事実上日本の平和の一翼を担ってきた「文官統制」
しかし、
僕が、その進路に「自衛隊」というものを、それも有力な候補に入れれたとき、
この2つは僕にとって‘気に入らないもの’になってしまいました。
単なる‘歴史好き’‘軍事好き’の頃は、特に文民統制は
「いい制度やん!!!」
て思ってたんですけど…
この心情の変化がなぜかという事については、次回のブログで…
※アイキャッチ画像はWikipediaから引用しました。
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