僕がいじめられた経験 家での様子といじめ対策

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前回前々回と、僕が岸城中学校でどんないじめに逢ってきたのか書いてきました。

 

学校でどういう事やられたのかは2回も使って書いてきましたが、

家ではどんな様子だったのか

いじめへの対策はどんなことをしたのか

等については、あまり書いてきませんでした。

 

なので今回はその辺を語っていきます。

 

家での様子

 

人生ゲーム壊した

 

いじめられてる事については、けっこう早い段階から親に言ってました。

 

いじめがひどくなるにつれ、学校ある日は毎日、親に学校で何されたのか話しました。

 

この頃はほぼ毎日、泣きながら話してましたね。

 

僕をいじめてたヒ・サ・ヤとかに対して、僕が抱いてた感情は基本的には ‘恐怖’ です。

 

「今日は何されるんやろう?」

「あいつらに近づいたらどんな事なるんやろう?」

ってびびるのは当たり前じゃないでしょうか。

 

ただ、段々と別の感情も湧いてきます。

 

それは ‘怒り’ です。

 

「何で俺がこんな目に遭わなあかんねん!!?」

って、よくよく考えたらやっぱり思いますよ!!

 

ある時その感情が決壊しまして…

自宅の自分の部屋で大暴れしたことがあります。

2回。

 

暴れ出したら止まんないですね!!

 

部屋にあった物を適当に壁に投げつけたりしまくってました。

 

大声で暴れまくってたから、

下の階にいた親にも聞こえたんでしょうね!?

 

1回目も2回目も母親に止められました。

 

1回目は、部屋の扉を開けられて、「何してんの!? 大丈夫!?」って聞かれた位ですけど、

2回目は部屋に入ってくるなり抱きしめられましたね。

 

何かのドラマの1シーンみたいでした。

 

この2回の大暴れで、

小学校の図工の授業の時に作ったセロテープのテープカッター等、幾つかの物を壊してしまいましたが、

1番にその犠牲者になった物は「人生ゲーム EXTRA」です。

 

小学校の4年の時に ‘サンタさん’ から貰った物で、小学校の間は家族で遊んだり、友達の家に持っていって何人かで遊んだりしていたのですが、

小学校卒業の辺りからそういう機会も減っていたので、

「要らんかなぁ~」と思い始めていました。

 

こういう書き方するのはアレですけど、

丁度いい、っちゃ丁度よかったです。

 

しかも

あの大きさのボードを破く感じといい、

沢山のお札をばらまく感じといい、

怒りの矛先を向けるにも丁度よかったです。

 

当然ですが

人生ゲームは大破しました。

 

親にとっては衝撃だったでしょうね。

 

自分の息子が部屋で大暴れしにきゃいけない位いじめで追い詰められてるのも勿論のことですけど、

人生ゲーム壊されたこと自体が衝撃だったでしょう。

 

なぜなら

先程も書きましたが、その人生ゲームは小学校の4年生(…だったと思うんですけど)のクリスマスに ‘サンタさん’ からもらった物だからです。

 

自分がプレゼントとしてあげた物が、受け取った側の手によってメッタメタに破壊された訳ですから、

その現実は送り主にとって見るに耐えないものがあったはずです。

 

ヤに殴られて以降は、いじめが急にましになったので、

それ以後は家で暴れることもなくなりましたが、

あの頃は親も本当に辛かったと思います。

 

ユメソのいじめ対策

 

しつこいですが、

ヤが僕を殴って以降、急にいじめがましになりました。

(これもしつこいですが、別になくなった訳じゃありませんよ!!)

 

向こうの行動の変化の、本当の理由は分らないのですが、

こちらが色々と手を打った、っていうのはあります。

 

急速にましになったのには、こちらの行動っていうのが1つ大きな要素ではないのかと。

 

教室の最前線に座った

 

まず、席について、

なぜかしりませんが、ヤに殴られてから、急遽また席替えがあって、

僕の席は、ヒ・サが座り、僕が奴らに挟み撃ちになってた列(5月頭に僕が座ってた列)の1番後ろ、

位置としては教室の1番奥の1番後ろになりました。

 

5月終盤に授業参観がありました。

 

僕の席は1番後ろなので、

保護者の立ち位置からは1番近いことになります。

 

参観には母親が来てくれたんですけど、

参観中ずっと僕のすぐ後ろに、まるでSPのごとく立ってました。

 

ヒ・サ・シ・カが時々、僕らの方を見て、ひそひそ喋ってるのが見えましたが。

 

その後、

6月以降は席を最前列にする処置をとってもらいました。

 

元々、目が悪い子は優先的に最前列に座れる処置があったのですが、

僕がそれを利用した形です。

 

当時の僕は視力は普通に1以上ありましたし、

目の病気を抱えてた訳でもなかったですし、

何より5月は普通に皆と同じく席替えしてましたからね。

 

「目、悪いん?」

って聞いてくる子は何人かいました。

 

僕は

「視力はいいんやけど、ちょっと見えにくいもん抱えてて」

みいな感じで答えていました。

 

その子達もそれ以上に深くは尋ねてきませんでした。

 

納得したのかどうか分りません。

 

もしかしたら

「これ以上は聞いちゃいけない質問」

て事を感じとってたのかもしれません。

 

なんせ僕がヤに殴られてたのを、みんな見てた訳ですから。

 

休憩時間は職員室前

 

それから、先生達の目の届く範囲に極力いるようにしました。

 

具体的には

・休憩時間は職員室前の廊下にいる

・授業が始まる時は、先生について教室に向かう

・授業が終わると、先生について職員室前まで戻る

という風にして、先生の目の届かない時間を限りなく0に近づけました。

 

有難いことに、

同じクラスのKという子が、休憩時間中の僕、すなわち

先生と一緒に教室を出て→職員室前廊下で休憩時間をすごし→先生と一緒に教室に戻る

を全て付き合ってくれていました。

その時々によって、他にも人はいたと思うのですが、

基本、Kはずっと一緒にいてくれました。

 

ありがたかったですね!!!

 

前回の記事

「便所に閉じ込められた」

話を書きましたが、

その時、実は僕が便所に閉じ込められる寸前まで僕と一緒にいたのがKです。

 

一緒に体育館に行こうとしてた

という事です。

 

僕を便所に閉じ込めた犯人のイは、なぜか僕だけを呼び止め、

Kに対しては「お前は行っていい」つって、僕を1人にしてから便所に閉じ込めるという、かなり狡猾な奴です。

 

これで他の子にはいい顔しての人気者なのだから、

相当卑怯な奴ですよね、イは!!

 

まあ、イへの恨みはさておき、

あの時、タイミングよく先生が来てくれましたが、

もしかしたらKが、先生にそれとなく言ってくれたのかもしれません。

 

その時はワルに周りを囲まれた恐怖と、解放されたことへの安堵感で、そこまで頭が回らなかったですけど、

後々になって考えれば、僕が閉じ込められてることを先生達が自力で気づけられるのか!?ってことですよね。

 

しかも、

Kの機転なのか先生の機転なのか、

いかにも ‘たまたま通りかかりました’ 的な感じだったんですよね。

 

もしここで先生が

「おい、あいつから聞いたらけどおまえ、ユメソを閉じ込めてるやろ!!?」

なんて言われたら大変ですよね!!?

 

Kに対しても

「お前、先生にちくったやろ!!」

ってなるし、

僕に対しても何してくるか分らないですからね。

 

あいつら、キレたら攻撃し易い奴をとことん攻撃しますから。

 

それで

「喧嘩上等」

とか、廊下の壁に落書きしてるんですからね。

 

絶対に勝てる相手にしか手をださんくせに ‘喧嘩上等’ なんて、よく言えたなあと思いますけどね。

 

アメリカ大統領とその取り巻き達を、たった1人で喧嘩でボコボコにしたんなら、喧嘩は超がつくぐらい上等でしょうが。

 

まあ、それはそれとして、

理不尽に逆ギレされることなく、穏便な解放に尽力してくれたことには物凄い感謝してます。

 

もちろん、Kが先生に言ってくれた証拠がないから、そもそもKがそんな工作を、やってくれてないことだって十分にありえますが。

 

一応、書いておくと、

僕、別にKに「俺、実はいじめられてんねん」って、例えば相談とか、したことないです

 

てか、自分から同級生に、自分がいじめられてることの相談とか、したことないです。

 

奴らから

「お前、誰々に言ったやろ!!?」

って、まるで ‘チクった’ かのようになって、余計にいじめられるのが嫌でしたし、

何より友達を自分と同じような苦しい立場におきたくなかったので。

 

勉強する

 

後は、勉強もしだしました。

 

そういう ‘不良ども’ って、どうせ大した高校に行けないじゃないですか!?

勉強してないし!!

 

だから「いい高校に行けば、いじめはなくなる」と思ったんで、1学期の早い段階で親に頼みこんで塾に行かせてもらいました。

 

勉強しだすと、それだけで奴らは絡んでこなくなります。

(もちろん絶対ではないですがね)

 

当時の岸城中学校では

・勉強して5教科(英語・数学・国語・理科・社会)合計400以上とる奴

・全然勉強しない奴

にパックリ分れまして、

成績分布がトップと底辺に大きな山が2つできる、という、フタコブラクダのコブみたいな、いびつな形になっています。

(標準的には中間層が最もボリュームあると思いますが)

 

頭いい

っていうのは、それだけで権威ですし、

成績上位者がそれなりの層を形成していたので、

ワルどもは絡みにくかったと思います。

 

勉強してる奴がごく少数なら、ワルは「お前、勉強なんかして、イキってんのか~」って、それはそれで攻撃の対象になってたと思うんですけど。

 

クラスを離してもらった

 

これは2年以降のことなんですけど、

特に僕を攻撃してたヒ・サ・ヤについて、クラスを離してもらうように、親が学校に交渉してくれました。

 

それが認められて、2年以降やつらと同じ組になることはなかったです。

 

口利きで

「こいつとこいつとは同じ組になりたくない」

って言って、そんなの通るのか? と

 

「身勝手」っつって却下されんじゃないかと思うんですけど、

案外、言えば通るもんですね。

その後の奴らとの関係

 

ましになったとはいえ、いじめがなくなった訳ではない、ということは前回の記事でさんざん書いていますが、

一方で ‘休戦状態’ になったり、

第1次世界大戦の「クリスマスの休戦」のような状態になったりしたこともあります。

(「クリスマスの休戦」とは、1次大戦初期、敵同士の英軍と独軍がサッカーして遊んだことをいいます)

 

1年の6月に学年単位で滋賀県のマキノに1泊2日で行ったことがありまして。

あれは ‘林間学校’ になるのかな?

 

その時は、夜にヤと普通に喋ってました。

 

多分、他数名とトランプか何かしてたと思います。

 

恐らくヒとかサとかはいなかったと思います。

 

何でそんな ‘仲よく’ なったかは不思議なんですが。

 

もちろんそれは一時的なもので

(普段の学校と雰囲気が違ったことによる気分の問題かと)

以後も仲よかった訳ではないですが

(そもそもお互い話しなかった)

少なくともボコられてから1ヶ月で ‘休戦’ にまで持っていけたのは、我ながら凄いなあ、と。

 

シとカの態度にも変化がありました。

 

時々、僕の見方してくれるようになりました。

 

特にカは、僕がやられてるのを見ると

「ユメソいじめんの止めたりや!」

と言ってくれるようになりました。

 

そうかと思えば、僕を攻撃してくることも全然ありましたが。

 

こいつらは、実は2人とも女子なのですが、

‘時には見方、時には敵’ という「峰不二子」を具現化したような奴らです。

 

だから、いかに見方になってもらえるかが鍵でしたね。

まあ、僕がその為にできる事はありませんでしたが。

 

 

上記以外にも対策は色々してきました。

 

ただ、その1つ1つを取り上げ出すと「こんな対策しました。あんな対策しました」だけでは済まなくなるので、今回での紹介は一旦やめときます。

 

次回以降、ぜひお楽しみ下さい。

 

まあ、あれだけの大事になったにも関わらず、結構な速さで挽回できた裏側には、相応の努力があったということです。

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