「いじめられる側にも原因がある」は真剣に考えましょう

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ついこないだまで、何回にも渡って、僕は自分がいじめられた経験/いじめた経験を語ってきました。

 

随所で

「僕のこういう所がいじめる側を刺激したんだろうなぁ」

とか

「あいつのこういう所が腹立った。だから攻撃した」

みたいな記載してきました。

 

書き方からすると、さも、いじめられる側に原因があるかのような感じですよね。

 

ところで、

「いじめは、いじめられる側にも原因がある」

みたいな命題、聞く機会があると思います。

 

この命題を巡って侃々諤々、色んな人が色んなこと言ってますが、

僕も自分の考えを述べる事と致します。

 

 

結論

 

先に結論を書いちゃうと、

「いじめられる側 ‘にも’ 原因がある」

というのが僕の見立てです。

 

「どっちにどれぐらいの原因があるのか」は、

そりゃぁ人間のやる事ですし、数学的な法則性はないでしょう。

 

ある時は原因の比率が

いじめる側:いじめられる側=8:2

別の場合は原因の比率が

いじめる側:いじめられる側=3:7

てな塩梅に、個々別々の事件によって全く変わってくるでしょうし、

場合によってはどっちかに10:0で傾くかもしれませんしね。

 

書けるのは、

「いじめは、いじめる側が100%悪い」

という理想論は、往々にして機能しないという事です。

 

 

具体例

 

では、いじめられる側の ‘原因’ とは、どんなものがあるでしょうか?

 

僕が経験したり見聞きしたりした事を書きますと

 

体に多少のハンデがあり、運動会などで遅れをとる事が多い為、チーム仲間から攻撃された

一緒に遊んでる時とか、「頭おかしいんか!?」って位アニメの主人公きどりしてた

中学入学の当初から頭を抱えて机に伏したりと、とにかく怯えておどおどしてた

人の嫌がる言動を頻繁にして、周りの大多数から不評を買った

顔が不細工で、まとってる雰囲気も不思議ちゃんだった

 

らへんでしょうか。

 

 

「いじめられる側にも原因がある」に反対する人達

 

「いじめられる側にも原因がある」

というと、批判される事も多いかと思います。

 

この命題に反対する論者達は、もちろん論者によって様々な意見があって、1つにまとめるのは難しいかと思いますが、

比較的多くの論者が共有してるのは、

「いじめられる側にも原因がある」=「いじめられる側にも悪さがある」

という、

原因=悪

という公式ではないでしょうか?

 

 

「原因」と「悪」を分けて考えよう

 

「いじめられる側にも原因がある」

について

原因=悪

と考える人は、

この理論への賛成/反対を問わず、一定数(てか、相当数)いるように見受けられます。

 

‘いじめられる側’ 問題の議論は、

単にこの命題の正当性を吟味するのみならず、

感情的なものが、より対立を深くしてるのかなあ、と思います。

 

「お前が悪い」っていわれたら、そりゃ感情的にもなるでしょ!?

 

まして、いじめの被害者にそれを言うのだから、

ただでさえ苦しい状況にあるのに、それが「お前のせいだ」なんて言われたらね…

 

そこで、

「原因」と「非」は分けて考えるべきでしょう。

 

つまり、

広い意味での「原因」の中に、

狭い意味の「原因」と、「非」或いは「悪い」というものがある、

という事です。

 

障害者がいじめられる例なんかだと分りやすいと思います。

 

残念な事ですけど、障害者が学校とかでいじめられる場面はままあると思います。

 

そこで考えてほしいんですけど、

障害を持ってる事は悪いことなんでしょうか!!?

 

特に先天性の場合、

本人に責められるべき非は何もないはずです!!

 

でも、その特徴は、

攻撃的な奴を食いつかす餌になるのです。

 

「障害者いじめるなんて、いじめる側が100%悪いだろ!!!」

そうですよ!!!

そんなこと言われなくても分ってますよ!!!

 

どっちが悪いとか

どっちに責任があるとか

そんな話してんじゃないんです!!

 

「障害という特徴は、ある割合でいじめ心をくすぶってしまう」

という現実を「認知せよ」と書いているのです。

 

こちらが全く悪くなくっても、いじめられる時はいじめられます。

 

「いじめる側が悪い」

と言う頃には自分は既に被害にあってる訳で、もう手遅れなんです。

 

孫子の兵法には

「彼を知りて己を知れば、百戦して危うからず」

とあります。

 

「敵を知って自分を知れば負けない」

という意味です。

 

・自分にはどういう特徴があるのか

・その特徴は、相手や環境によって、いじめに発展する可能性があるのか

 

これらを検討する事で、

いじめの被害に遭わない、或いは遭っても被害を最小限に留める

事に大いに貢献するはずです。

 

「いじめられる側にも原因がある」理論は

まるで

・いじめられる側が悪い

とか

・いじめられる側に責任がある

と聞こえがちですし、

「そんなのおかしい」と、とかく感情的になっていまいがちなのは分ります。

 

が、

「おかしいかどうか」

ではなく

「いじめを回避できるか否か」

で考えると、

「いじめられる側にも原因がある」理論が、実はいじめ問題の解決に、多少なりとも役立つのではないでしょうか。

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