今更聞けない日本文学 独自性かガラパゴスか 公務員試験対策文学・芸術 前近代以前

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今更聞けない日本文学

 

前回は西欧文学について述べてきました。

 

今回は日本文学について述べます。

 

 

うぷ主は日本文学をどう習ったか

 

日本文学も文学史で見るなら古代から現代まで通しで学習すべきでしょう。

 

ですが当時のうぷ主の講師がいうには「明治維新より前か後かで日本文学の性が全く異なる」と。

 

それが本当かどうか分かりませんが、

明治維新より前の文学は日本史の文化史でパパッと習い、

明治維新以後の文学は文学•芸術で習いました。

 

うぷ主的には通しで学習した方がいいと考えますので、古代から通しで叙述しますが、

前近代は何分、適当にしか習わなかったので、雑になるのをご容赦下さい。

 

 

上代

 

これで「じょうだい」とよみます。

 

飛鳥時代から奈良時代、主として奈良時代をさします。

 

この時代の特徴として、

まずは歴史書の編纂が行われました。

 

代表例が「古事記」と「日本書紀」。

 

後は和歌ですね。

 

特に「万葉集」は現存する最古の和歌集で、

名もなき庶民から王侯貴族まで、万人の和歌を収録した和歌集としても有名です。

 

この時代の文字は「万葉仮名」といいます。

 

結局の所は漢字です。

 

漢字をその当時の日本語に読み直した、

まあ言っちゃえば ‘当て字’ の元祖みたいな。

 

漢字それ自体はもっと昔から日本に入ってきてたみたいです。

 

ほら、有名な「漢委奴国王」って刻まれた金印、あるじゃないですか。

 

1説にはあれは弥生時代の1世紀頃には入ってきてたをだとか。

 

この説が正しいとすると、西暦1世紀頃には既に日本人は漢字を知っていた事になります。

 

古事記や日本書紀が書かれたのが8世紀初頭ですから、

日本人が最初に読み書きを学習してから7百年位は大した文学活動をしてなかったと。

 

昔の人達は7百年もの間、何してたんでしょうね!?

 

 

平安時代

 

Wikipediaでは「中古文学」として記載されていますが、

「中古」なんて書かれたら

「新品じゃない物!?」

ってなる人が一定数いるでしょうから、ここではあえて平安時代と致します。

 

文学史でいう「中古」っていうのは、要するに平安時代ですから。

 

平安時代も相変わらず和歌は盛んで、

初の勅選和歌集である「古今和歌集」が編纂されました。

 

勅選和歌集とは、天皇(たまに上皇)の命令で編纂された和歌集です。

 

中古文学の更なる特徴として、

物語文学や随筆が発展しました。

 

物語文学で超有名なのが紫式部の源氏物語でしょうが、

他にも

在原業平であろう人があっちこっちで女遊びしまくる「伊勢物語」や

かぐや姫で有名な「竹取物語」も平安時代です。

 

随筆では、

紀貫之が女装して、じゃなかった… 女のふりして書いた「土佐日記」がありますし、

恐らく1番有名なのが清少納言の「枕草子」ですかね。

 

諸説ありますがこの時代に平仮名や片仮名といった「仮名」が発明されたとする説もありますし、

少なくとも仮名が発展したのは平安時代です。

 

どうもそれまでは

漢字=男性の字

っていう風潮があったみたいですが、

かなの発明発展によって女性、特に朝廷とかの女官達にとって文学活動がし易くなりました。

 

確かに宮仕えの女官というのは当時的には ‘エリート層’ ですが、

文字を書き表す事への門戸を広げたのは間違いないでしょうし、それは日本文学の発展に多大な貢献をしたのでしょう。

 

 

中世

 

日本の場合、中世というと大体は鎌倉~安土桃山をさします。

 

近世との境目は、太閤検地とするか江戸幕府成立とするか等の諸説ありますが、

鎌倉•室町が中世とお考え頂ければさし当り間違いないです。

 

この時代も引き続き和歌や随筆は盛んです。

 

和歌では又々、勅選和歌集である「新古今和歌集」が編纂されました。

 

編纂者は藤原定家らとされています。

 

‘ら’ というので、他にも関わった人はいるんでしょうが、

名前が残っているのは定家公だけですね。

 

他の人達は、

大した貢献をしなかったのか…

努力が認められなかったのか…

 

理由は分かりませんが、

‘ら’ という雑な表現で纏められてしまいました…

 

随筆では

鴨長明の「方丈記」や

吉田兼好(兼好法師)の「徒然草」

が有名です。

 

物語では

琵琶法師により語り継がれた「平家物語」や

室町時代に書かれた「太平記」があります。

 

いずれも「軍記物」という範疇で、実際の戦を題材にしたノンフィクション物語です。

(多少は盛ってる記載もあるとは思いますが…)

 

後、覚えといた方がいいのは、

世阿弥が書いた「風姿花伝」。

 

能楽について論じた本で、はっきりいって明治までは ‘秘伝の書’ の如き感じで、

世間には殆ど知られてなかったんだとか。

 

近代になって急に再評価されだして、

今では日本史文化史の最重要人物/著作の1つに数えられるんだとか。

 

日本の中世文学は、基本的には中古文学の流れをくんでるので、傾向は非常に似通っていますが、

違うのは女流文学が衰退した点。

 

日本の中世は武士の世の中で、貴族の地位は相対的に低下しますから、

成績優秀な女官ちゃんより脳筋の侍君の方が地位が高くなるのは仕方ないです。

 

当時の作家達は必ずしも侍達ばかりではないですが、

男社会の影響は少なからず受けますわな!

 

 

近世

 

基本は江戸時代をさします。

 

細かくいえば前期•後期があったり等しますが、

そこまで詳しくは習ってないのでこの記事では割愛します。

 

まず詩歌に大きな特徴があります。

 

俳諧が流行し、それから更に俳句が生まれました。

 

室町時代には既に連歌が楽しまれていました。

 

「連歌」っつうのは、ある人が五七五を詠んで、

次の人が七七を詠んで、

又次の人が五七五を詠んで、

ていうものです。

 

俳諧は、連歌を、より庶民的で遊戯的にしたものだそうで、

決まり等は基本的に連歌と大差ないみたいです。

 

詳しい経緯は想像にすぎませんが、

そうこうしてる内に、きっと誰かが「あ! 五七五でも詠えるじゃん」とかいいだしたんでしょうな!

 

で、俳諧から発展した五七五だけの詠が「俳句」です。

 

俳句を詠む人を「俳人」といいますが(ネット中毒じゃないよ!)、

江戸時代の有名俳人は

松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶

辺りでしょうか。

 

これは文学史から外れるかもしれませんが、

芭蕉の句、「古池や蛙飛び込む水の音」ですが、

「古池」の ‘古い’ はold(長年)なのかancient(歴史的)なのか

であったり、

蛙はfrogなのかfrog ‘s’ なのか

が、外国語に訳す時に問題になるみたいです。

 

日本人としては

この句を聞いて、蛙が何匹もボチャボチャ飛び込んでるのは想定し辛いのであって、

「短い句に見事な幽玄の情景を表した」と予備校講師が絶賛してました。

 

物語的な文学では、

元禄期に井原西鶴の「好色一代男」「日本永代蔵」で浮世草子という範疇が確立されました。

 

江戸も後期になってくると、山東京伝、曲亭馬琴、十返舎一九といった作家が活躍しました。

 

官能小説、吉原での遊び方、町人の人情、等々、

庶民的な文学が発展したのが江戸時代の特徴な気がします。

 

 

纏め

 

如何でしたか?

 

前近代の流れの大まかは、

前半は中国の影響からの脱皮、

後半は文学の大衆化

でしょうか。

 

江戸時代は鎖国してましたし、それ以前もそんなに外国と頻繁な交流があったとはいい難いので、

長い時間をかけて独自の文学を発展させたのが我が国といえるでしょうか。

(同じのは文芸全般にいえますが)

 

それを独自性と肯定的に捉えるか、

ガラパゴスと否定的に捉えるかは

各人の好きにすればいいのかもしれませんが、

諸外国(というか殆ど欧米ですが)の影響、それに伴う大きな社会の変化の影響を受けた近代文学と一線を画す文学だったというのは、容易に分析できるかと。

 

 

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