小学校3年生から、おじさん・おばさん達にまじって、中国語を習っていました

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さて、

前回、僕が経験した習い事の話をしたので、今回も習い事の思い出話を1つ。

 

中国語について。

 

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きっかけ

 

前回も書きましたが、

うちの親は子供に対して「あれ習え」「これ習え」という性格ではありません。

 

「中国語を習いたい」っていいだしたのは僕です。

 

中国語って、妙に格好よかったんですよねえ…

 

漢字を使ってる、っていうのが日本と共通だし、

名前の響きが格好よく聞こえたんですよね。

 

江沢民(コウ・タクミン)とか、

蒋介石(ショウ・カイセキ)みたいな。

 

当時、僕は「東アジアで連帯しよう」みたいな考え持ってたから、韓国語でも、まあよかったと書けばよかったんですが、

ハングルより漢字の方に親しみ覚えるっていうのと、発音の響き的に「中国語の方がいいや」と思いました。

 

英語は、

NHK教育テレビの「えいごであそぼ」えいごであそぼ with Orton – NHKって番組とか、しょっちゅう見てたんですけど、

 

かつてアジアの侵略しまくって、今でも世界中で調子にのってる奴らの言語を学ぶ様な西洋かぶれにはなりたくなかったので、

積極的に選択肢から排除しました(笑)

 

 

教室探し

 

単なる興味ですまなくなってきて、

漢字の日本語読みと中国語読みを纏めた表を作る位、中国語への関心がわいてきてたので、

「習いたい」っていったら、親もあっさり教室を探してくれました。

 

市の公民館の1室を借りてやってる教室は月謝が安いらしく、

主にそういう所をあたってくれてました。

 

そして、

毎週月曜の夜に、近場の中央公民館でやってる教室と、

毎週土曜の午後に、自転車で30分近く掛る所にある(車だと15分ぐらいかな!?)、公民館の分館の教室を見つけてきてくれました。

 

同じ先生が教えてて、どっちも生徒は主に大人という事でした。

 

因みに先生なんですけど、

中国生まれの中国育ちで、民族的には生粋の中国人です。

上海の人だそうです。

 

だけど

日本の人と結婚して、

名前も日本人風になって、

日本国籍も取得してるんじゃなかったかな!?

 

夫婦喧嘩の時は、怒りの余り中国語で早口でまくしたてるらしいです。

 

だけど旦那さんは日本人だから、何いわれてるか分らず、白々しい顔で無視するらしいです(笑)

 

それで余計に怒りがわいて、更に中国語で早口にまくしたてる、

っていう流れらしいですよ(笑)

っていう方です。

 

当時、僕は小学3年生。

 

で、

僕は、毎週土曜の遠い方に行く事にしました。

 

親からは「近い方がいいんじゃないか」みたいな提案はあったのですが、

僕としては夜に外をうろうろしたくなかったんです。

 

うちの家、非常に規則正しい生活をしてて、

夜になったら風呂に入って→飯をくって→寝る

って生活様式になじみまくってて、

例えば、夜が遅くなるとか、飯をくってから教室に通って、帰ってきてから風呂に入るとか、

生活様式を変えるのが嫌だったんです。

 

 

こんな感じの教室

 

まず教科書の調達をしなきゃいけなかったです。

 

その教室が使ってた教科書は、学校の教科書みたいに、注文しないと買えない教科書なんです。

どこの本屋でも注文できるんですけどね。

 

これです。

白帝社の「標準 中国語」

って本です。

新版 標準中国語 基礎編 – 白帝社 (hakuteisha.co.jp)

 

で、いざ、通い始めます。

 

6月ぐらいからだったかな!?

 

案の定、子供は僕1人だけ。

 

生徒は

20人いるかいないかの人数で、

40~60代が中心。最高齢は90代。

 

時間は

14時~16時

 

講義の内容は

まず、教科書の本文を先生が読む→生徒が復唱

(全員での復唱と、1人1人の復唱があります)

それが終ると、その単元の文法やら構文やらを使って、作文して発表する

 

明確に決りがある訳ではありませんが、

本文音読で1こま、

文法・構文学習で1こま

が標準的でした。

 

先生や生徒同士で、例えば中国にいった時の体験談とか、日本と中国の違いとか、

その手の雑談で盛上る事とかもありました。

 

なので、進捗そのものは、そんなに速くないです。

 

大手の英会話教室にある様な、‘ガチのお勉強’ 形式じゃないから、

本気で中国語を習得したい人にとっては不向きだと思います。

 

だけど

中国語の素養も養いつつ、周りの人達との交流もありーのという点で考えると、うちの教室は最高だったです。

 

 

僕個人の思い出

 

 

僕の授業態度

 

入学当初の僕の授業態度は、なかなかなものだったと思います。

 

先生から「この文を読んで」って当てられると、

顔を手で覆いながら、「ああ~、恥ずかし~」って大声で言ってから、読み始めてました。

 

小学校低学年のガキって大体こんなもんだと思うんですけど、

大人からすれば鬱陶しかったと思います。

 

少なくとも、今の僕が、大人の集まりの中で1人そういうガキがいたら、多少なりとも「うざっ」と思うんで。

 

本当にねえ、

皆さん、寛大に接してくれました!!

 

当時は気づきもしなかったですけど、

本当に有難い事だったんだなあ、と思います。

 

そういう事もあって、

最初の頃は、父親が2時間まるまるつきっきりでした。

 

行きも帰りも父親の車でしたし。

 

父親のつきっきり体制は、けっこう長く続きましたよ。

 

1年とか続いたか、までは覚えてないですけど、

最初1,2回、とかではなかったのは確かです。

 

授業中の集中力も、

小学校の間は基本なかったです。

 

特に最初の内は、授業開始10分ぐらいで集中力きれる、なんてざらでした。

 

母親が、教室での僕の様子を父親に尋ねると、

父親が「今日は最初の何分までやな」って、呆れながら言ってました。

 

「辞めろ」って、よく言われなかったなあと思います。

 

学年があがる毎に、多少は集中力はあがっていきましたが、

辛うじて様になったといっていいのは、早くても中学になってからじゃないですかね。

 

小学校の頃なんて、学校の授業45分すら長く感じるじゃないですか。

 

それを

1こま2時間の授業うける訳だから、そりゃ集中力もたないでしょ!?

っていうのは、いい悪いはともかく、当たり前と書けば当たり前だと思うんですけどね。

 

あの頃は、毎週2時間がたつのが異常に遅かったですねえ。

 

別に楽しくなかった訳じゃないし、寧ろ楽しかったんですけど、

30分ぐらいたったかなあと思って時計を見たら、10分15分ぐらいしかたってないんです。

 

何であの時だけあんなに時間が長かったのかが分んないぐらい、時間がたつのが遅かったです。

 

中学、高校になったら2時間なんて、あっという間だったんですけどね。

 

 

授業前

 

小学生の一時期、

…ううん、1人で通い始める様になって、14時開始の時、会話が初まる前まで位かな…

僕、勝手に ‘隠れんぼ’ してたんです。

 

教室に1番のりでいって、(大体13:30位かな)

どっかに隠れて、

来た大人達をびっくりさせる

という…

 

或いは

14時近くになるまで、誰の目にもふれない様に隠れ通して、

14時直前に教室に戻る。

みたいな。

 

糞しょうもない思い出なんですけど、

何か、そのサバイバル感が楽しかった…

 

 

大人達とタメ口で会話

 

まず、入ったの小3でしょう。

 

小学校の3年で、‘敬語’ なんて概念、まずないじゃないですか。

 

だから、大人達に対しても、所謂タメ口で話してました。

 

僕が通ってる間(高校卒業まで)、ずっとこの態度でした。

 

なんか、もう、

年の離れた友達みたいな。

 

失礼だという認識は、終始なかったですね。

 

入った時から10年近く、それで通してきたし、

話し方うんぬんで、怒られた事も、問題にった事もなかったですから。

 

当時の僕、ぶっちゃけ敬語に対して否定的だったんです。

 

堅苦しいというか

湿っぽいというか…

 

「もうちょい仲よくいこうぜー」って思ってました。

 

変な話ですけど、

タメ口をよしとする僕の考えにもあった教室でした。

 

 

怒られた経験

 

タメ口そのもので怒られた事はないですけど、

 

そういう僕の姿勢というか態度というかは、

悪い見方をすれば傲慢だから、

その点でぼろがでて、指摘をうける事は、数こそ少ないものの、あったあったんですね。

 

覚えてる話が2個あって、

 

1つ目が、

 

ある人の名前をよんだんですけど、

 

よび方がね、

僕としては面白おかしくよんだ積りだったんですけど、

おちょくってる様な風にも聞こえた、っぽいんですよ。

聞く人が聞いたら。

 

で、鉛筆で頭を小突かれました。

 

表情とか雰囲気からして、けっこう本気っぽかったんで、

謝りました。

 

只…

僕を鉛筆で小突いた人って、

僕が面白おかしく名前をよんだ人とは別人なんですよね(苦笑)

 

普通に考えたら、謝るべき人を間違えてるんじゃないか、って話になると思うんですけど、

なぜか「ご免なさい」→「ああ、いいよいいよ」みたいな会話が、僕と小突いた人との間に成立してました。

 

もう1つは、

 

分館にある各教室では、生徒の中から会長を選出する決りがありました。

 

小学生でいう ‘学級代表’ ですね。

 

主に館祭の時なんかで、館や他の教室と調整しなきゃいけなくなるし、

館の決定なんかを教室の各生徒に伝えなきゃいけないので、

そういう ‘生徒会’ の様なものがあったんです。

 

で、館祭前の準備やら何やらの調整で、あれは館に何をお願いしてたのか忘れたんですけど、

館長と中国語クラブの会長が、立話してたんです。

 

その時その場にいたのは、

館長と会長の他には、僕と、館で働くおばちゃんと、後は中国語クラブの生徒がもう1人いたと思います。

 

教室が終って、みんな帰った後で、

その場に残ってたのは、館の人と、近所に住んでるクラブの生徒と、当時は中学生になってた暇人の僕、です。

 

「お願いしますよ!!」→「無理ですよ!!」みたいな ‘押問答’ が続いてて、

僕はそれをぼけーっと眺めてたんですけど、

急に館長と会長が取組合いの喧嘩を始めて!!

 

すぐに周りにいた人達が割って入ったから、大事になる事はありませんでした。

 

只、僕、大の大人がガチで喧嘩するの見た事なくって!!!

 

そういうのって、子供のやる事って認識が強かったから!!

 

子供って、

お互いタメ口だし、

喧嘩もガンガンするけど、

大人って、

ですます調で喋るし、

お互いとにかくヘコヘコするし、

 

僕の通ってた中学校は、割とありがちな ‘荒れた学校’ で、

煙草・喧嘩は当たり前、鑑別所行が1学年10人はいて、授業中に廊下で暴れ声がきこえる学校だったんです。

 

でもそんなのって、大人の世界では通用しないじゃないですか!?

 

そういう界隈にいけば話は別ですが。

 

そんな、律儀で丁寧で他人行儀な人種が、感情を晒けだす様な ‘子供っぽい’ 事すると思ってなかったですもん。

 

喧嘩なんて、‘特殊’ 中学生の世界の話だと思ってたのに、超びっくりですよ!!

 

「大人の世界でもそんなんあるんやあ~!!」って!

 

で、余りにも衝撃的だったから、ウキウキしちゃって。

 

翌週の教室で、早速それを大々的に語りました!!

 

それからも、機会がある度にこの件を語っていたのですが、

何回もその話をしていたら、会長とは別の人に怒られまして。

 

どういう文言で怒られたのかは覚えてないですが、

「そういう話を何回もするのは失礼やぞ」という趣旨だったと理解しています。

 

‘怒る’ というより ‘注意する’ という感じ。

 

別に、どなったりした訳じゃないし。

 

僕に注意した人は、この件の数年前に、僕を鉛筆で小突いた人です。

 

で、例によって、僕は又、会長ではなくその人に謝ったという…

 

まあ、以後その話を公然とする事は、なくした積りですが。

 

 

同世代の友達

 

クラブの生徒の殆どが40代以上の大人でしたが、僕以外に子供が全くいなかったかというと、いた時もあったんですよね。

 

2,3回ぐらいで、すぐにやめた子が、2人か3人か、いたかもしれません。

 

1人だけ、2,3年はいた子がいました。

 

僕の1コか2コぐらい上の子で、

でも僕とも上下なく普通に接してくれて

(お互い小学生だった、というのはあるかもしれませんが)

むこうがどう思ってたかは確かに定かではありませんが、

僕は彼の事を普通にダチだと思ってました。

 

大人達には特別よくしてもらってたので、ある種の失礼さはあるかもしれませんが、

然し、同世代の友達ができるのは、やっぱり嬉しいもんですよ!!

 

まあ、その子は2,3年程度でやめてしまいましたが…

 

 

年賀状

 

クラブに入って2,3年目頃から、クラブの人達に年賀状を書き始めました。

 

当時、小学生だったんですけど、

学校の友達同士では年賀状を書きあうのが当たり前でした。

 

年齢が離れてるとはいえ、相応に人間関係があるんだから、年賀状を送るのは当然だよね、っていう感覚が、当時の僕にありました。

 

年によって、年賀状を送る人/送らない人はありましたし、

全員に書いた年もあれば、全員が全員に書いた訳ではない年もありましたが、

高校卒業を機に、クラブをやめるまで、大方の人とは年賀状のやりとりを続けました。

 

一部の人達からは、僕が浪人→大学入学してからも年賀状を送ってもらってました。

 

 

敬称は「様」か「殿」か

 

小学生当時、同級生とかに年賀状を書く際は、敬称に「様」を使ってました。

 

周り皆が「様」を使ってたんで、それが当たり前だと思ったんです。

 

ある時、中国語のメンバにだけは「殿」を使おうと思った事がありました。

 

実際「殿」と書いた年賀状を用意しました。

 

何でそんな事をしたのかと書くと、

中国語メンバを特別扱いしたかったから。

 

普段、皆に対しては「様」を使うけど、

普段は使わない表現を使う位、僕はあなた達を尊敬してます。

と、そういう意味をこめてました。

 

それに、

「様」って、色んな人に使われますけど、

「殿」って、「殿様」って言葉がありますけど、それ級に偉い人にしか使わないのかあと、勝手に思いこんでました。

 

それらの年賀状を書いた時は、

特別な事をしたウキウキ感と、

普段しない事に対する一抹の不安がありました。

 

一応、不安がなかった訳ではないので、軽く親に話してみました。

 

そしたら、親の反応が意外や意外、

「あかんあかんあかんあかんあかんあかんあかんあかん、やめとき!!」だったのでびっくりしました!!!

 

‘怒られる’ っていう感じではありませんでしたが、

偉くびっくりされたので、こちらも「そんなに悪い事したかなー」と思う程。

 

何でも、「「殿」は目下に対して使う表現」なのだそう。

 

それを年上の大人に書くとか、かなり失礼だとか。

 

それを聞いて、慌てて年賀状を書き直しました。

 

未然に防げたのはいいとして、

よかれと思ってやった事に、そんな失礼な意味があったのは残念でした。

 

 

通学

 

最初の頃は父親が車で送り迎えしてくれてたんですけど、

いつの頃からか、なくなりました。

 

僕が1人で、自転車でいく様になりました。

 

小学校の中学年にしては長い距離を移動する事になるので、

父親がコース作ってくれて、そのその道順を行きました。

 

安全の観点から、その道順を守る様に、との事でした。

 

最初は自転車をこいで行ってたんですけど、

初級と中級に別れた位から(初級と中級については、後で書きます)かな!?、行きしは自転車をおして、歩いて通学する様になりました。

 

余り早く行っても、どうせ集中できませんしね。

 

それに、歩くの楽しかったっス。

 

週1回、遠出すること自体がそもそもすきだったんでしょうね。

まあ、今でもおでかけ大好きなんですけど。

 

 

不審者

 

そんなある時、怪しいおっさんに声かけられました。

 

踏切で遮断機が開くの待ってたんです。

 

反対側におっさんがいました。

 

遮断機が開いて、

僕とおっさんが踏切を渡って、

そのまますれ違うんかなぁと思ってたら、すれ違う前におっさんに声かけられました。

 

「ちょっと」って手招きされて、

「道でも案内してほしいんかな」と思って、いってみたら、

「ちょっと」「ちょっと」っていいながら、どんどん人気のないアパートの方に手招きでつれてかれるんです。

 

しかも、そのアパートにいくのに、おっさん、今きた道を戻ってくんです。

 

明らか怪しいでしょ!?

 

人気のないアパートの敷地に入って、

通りから奥の方までつれていかれそうになって、

めっちゃ怖くなってきて、

「どのタイミングで叫んだらえうやろう」って考えとったら、

おっさんの方から「もういい、いけいけ」っていわれて、

慌ててそこからにげましたね。

 

恐怖でなかなかいい難かったんですけど、

教室について、すぐこの出来事を話して、

「気つけや」って皆から心配されて、

家に帰ってからも即効で親にいいました。

 

僕が行きしに歩いて教室にむかってるのは親も知ってまして、

目をつけられてるかも、って話になって、

当分、歩いて行くのは危ないよね、って話になりました。

(速度が遅ければ遅い程、怪しい人が声をかけ易くなるという理屈)

 

それで、

父親が、それまで使ってた道順とは別のルートを新たに作ってくれました。

 

今までからある道を ‘第1の道’ 、新しい道を ‘第2の道’ として、

「今日は第1の道いくわー」

「今日は第2の道でー」

てな感じで、通学前に親に言うっていう。

 

大体1と2を交互にしてました。

 

まあ…

好き嫌いはどうでもいいんでしょうが、

僕は第1の道の方がお気に入りでした。

 

第2の道って、割と住宅街が多いんです。

 

僕、どっちかって書いたら車通りのある、割と大きな道がすきなんです。

 

第1の道は随所にそういう道があって、僕をあきさせなかったんです。

 

道の景色が思い出になってるのは珍しいかもしれませんが、

そういうのが思い出に残るのが、僕には又1つの特徴なんでしょうな。

 

 

会話

 

僕が入って2,3年ぐらいたった頃からかな…!?

 

「会話」というものが始まりました。

 

普段の教科書を使った勉強ではなく、

正に ‘会話’ していく様な感じで。

 

集合時間とかは変わらなかったんですけどね。

 

月1か、2週間に1回か…

 

会話が始まったからと言って、あくまでも教科書が主体なのは変わらないんですが。

 

 

初級と中級

 

僕が入って数年たった頃、

(会話の開始よりも遅かった)

それまで1つの組で一緒に勉強してたのが、

初級と中級の2つの組に別れる事になりました。

 

時間も、

それまで14時から16時だったのが、

13時から16時までの内、前半1時間半は初級、後半1時間半は中級

という形になりました。

 

初級と中級の間に、10分ぐらい休憩があったので、

初級も中級も1時間半まるまる授業にはならなかったですが。

 

新しい人もちょこちょこ入ってきてて、

古参メンバと同じ単元を学習するのはしんどいなというのが理由でした。

 

それまでは新規メンバが一定数ふえる度に、教科書を1から戻ってたんです。

 

慣れた人達からしても、何回も1から同じ事を繰り返しても仕方ないですしね。

 

それに伴って、教科書も新しい物が導入されました。

 

これです。

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今まで使ってた教科書は、なくなった訳ではありません。

 

これまでの教科書は初級組が引き続き使い、

新しい教科書は中級組が使う

という事になりました。

 

どの人が初級か中級かは、先生の判断です。

 

「あなた初級」、「あなた中級」てな感じで。

 

若干2人だけ

「初級でも中級でもいい」

っていわれてる人がいました。

 

1人は中級を選びましたね。

 

ちょっと話それるかもですけど、

一般に ‘上’ と ‘下’ を選べる時って、‘下’ を選ぶのが美徳みたいな感覚ありません!?

 

今回の例なんか特にそうですけど、

初級と中級を選べるんだったら、初級を選ぶのが ‘美しい’ みたいな。

 

実際

先生が「初級と中級を分けます」っていったら、

「俺、初級!!!」っていってる人もいた位。

 

別に

批判とか、そういう負の感情がある訳ではありませんが、

「ああ、そうなんやぁ」位には思いますよね。

 

で、

もう1人は誰かと書くと、

誰を隠そう、この僕です(笑)

 

僕も「初級でも中級でも、どっちでもいい」といわれました。

 

さっき、さんざん人のこと書きましたけど、

いざ自分がなってみると、これなかなか葛藤なんですよね(笑)

 

‘遠慮の美徳’ ってのは分るし、そっちの方が体裁いいんですけど、

只やっぱり、その…、機会があるなら上いきたいって欲もあるじゃないですか!!

 

別に初級の人が中級まで残っててもいいし、

中級の人が初級から来てもいいんですけど、

 

先生から当てられたり、作文の発表したりするのは、

初級の時間は初級の人が優先、

中級の時間は中級の人が優先

という事です。

 

欲はあれど、やっぱり初級からいたいっていうのは、体裁ぬきにしてもありました。

 

かといって、3時間も授業うけ続けるのは小学生にはしんどい、と。

(組わけ当時は、確か小学校の4年か5年だったと思うんですよね、僕)

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