語学なら不要、会話なら必要 英語幼児教育をどう考えるか

さっきxで英語の早期教育についての投稿を読みました。

 

一時はやりましたよね。

2025年ではめっきり聞きませんが…

 

実は私、小3から中国語を習ってました。

 

小3は、早期教育のいう’早い'(3才未満)からはだいぶ老いてますが、

その教室、私以外は殆ど成人だったんです。

 

‘早期’ではないものの、成人と比べると早くから外国語を勉強した私として、早期についてちょっとは語れるかと。

 

※教育の関連記事です!

勉強は基礎が大事というけれど… 基礎を疎かにしてしまいがちな理由と対策

高校の勉強についていけないのは○○が下がるから!?

模試は意味ないのか

8百円で人生が変ります

 

 

小3から中国語を習ってました

 

私は小3から中国語を習ってました。

 

はっきり「やめます」とはいわなかったのですが、浪人してから自然といかなくなったので、

ざっくり高3迄はやってました。

 

なぜ中国語を習おうとなったのかというと、中国語を喋れるのがかっこいいと思ったんですね。

 

近いし、漢字文化だし。

 

英語なんて学校で勉強するし、幼い私は反米だったので。

 

親も「へっ!?中国語!?」とはなったでしょうが、

教室を探してくれて、公民館の分館にあった教室に通いました。

 

大手の語学学校じゃなく、成人のサークルみたいな教室でして、

がっつり勉強する!のではなかったですね。

 

和気藹々と、でしたから、何年も通えばペラペラになる!とかではなかったです。

 

その教室、私以外は殆ど成人でした。

 

小3~高3ですから、その間に同世代が習ってたのもあったのですが、

その次に若いとなると20台後半で、30,40がちょこちょこいて、50,60が一番たくさんだったかと。

 

最高齢は90台でした。

 

ざっくりいえば、子供は私ぐらい、おじさんおばさんが沢山。

そんな教室でした。

 

 

発音が綺麗

 

和気藹々のゆるサーみたいな教室でしたので、

高3になっても、報道での中国外交部の記者会見を聞取れたり、というのはできなかったです。

 

ですが、私はよく発音が綺麗だと褒められていました。

 

言葉に触れるのが幼ければ幼いぐらい、発音が綺麗になるとはよくいわれます。

 

加えて私は、漢字で理解してました。

 

中国語は漢字だから、そりゃそうだろ!となるかもしれませんが、

中国語には漢字以外にも拼音というアルファベットがあります。

 

拼音は、日本語の読みがなみたいな機能があり、ローマ字にも近いので、拼音独自の法則はありますが、

そういうのさえ理解すれば習得は簡単です。

 

中国語の教科書は、漢字に拼音がふってあるので、

アルファベットが読める大人は拼音で読みがちです。

 

ですが私は小3から習い、小3といえば日本語のローマ字も習ってなかったので、アルファベットが読めなかったのです。

 

ですから漢字で理解せざるをえなかったのですが、

本来の中国語からいえばそっちが正しかったのです。

 

中国の日常生活ではわざわざ拼音をふってくれませんからね。

 

あっちも知らない、こっちも知らない、でも言葉を身につけなきゃいけない…

 

日本語を習得したのと似た条件で中国語を勉強できたのです。

 

 

語学か?会話できるか?

 

早期教育のよしあしですが、

英語を語学とするのか?会話できるか?でとても差があると存じます。

 

 

語学

 

語学とするなら、わざわざ幼くから勉強しなくてもいいんじゃないでしょうか!?

 

寧ろ脂ののった学生こそ適齢かと。

 

だって乳幼児って学問できる年じゃないでしょ!?

 

アルファベットすら理解できなかった小3が、中国語を学問として探究できたかというと、どうせできなかったでしょう。

 

キーン・ドナルド教授は、Q様で「金科玉条」を漢字で答えてましたが、

教授が初めて日本に触れたのって廿台みたいです。

 

廿台から日本語を勉強しても金科玉条を漢字で答えれる力はつくんです!

 

因みに金科玉条って、すげー立派な法律って意味ですが、知らない日本人も多いんじゃないでしょうか!?

 

日本では’正しい’英語を教えようとする教育ですが、

aとanとtheの差とか、toとforの使分けとか、そういうのを幼児から勉強すべきでしょうか?

 

入試では間違えると失点しますが、実際の会話ではan appleとすべきをa appleといっても伝わるでしょうし。

 

 

会話

 

会話できる、意志疎通できる、伝える伝わる…

そういう力を養うなら、早いのがいいでしょう。

 

よくよく検討すれば摩訶不思議ですが、

国語の点の低さに応じて日常会話ができなくなるのかといえば、そうでもないですよね!?

 

海外とかでも、戦乱や貧困でちゃんと教育をうけてこなかったであろう人でも、母国語は流暢に話せてますよね!?

識字はできないでしょうが。

 

こっから分るのは、偏差値みたいな頭のよさは、喋りや意志疎通にはそんなに影響しないのです。

 

調べると、言葉を喋る力は、生存に必要な力を司る脳と関わりがあるらしく、

この力は幼少期に鍛えられるそうです。

 

であれば、乳幼児から英語教育する意義はでかいです。

 

幼児ではなかったですが、小3から習ってた中国語で、発音が綺麗と褒められたのも、

まあ才能もあったのかもしれませんが、

やはり幼くから中国語に触れたからでしょう。

 

語学で正しい言語は喋れないかもしれませんが、

より日常会話みたいに喋れたり意志疎通できるでしょうね。

 

 

幼児教育すべきか?

 

ざっくりいえば、

語学としてなら成熟してから、

会話や意志疎通を重視するなら乳幼児から、

が見解です。

 

折角ですから幼児教育すべきかについての意見も述べましょうか!?

 

私はすべきと存じます!

 

乳幼児からが速く楽に英語が喋れるなら、そっちがいいでしょ!?

 

幼くから英語ペラペラだと、色々と有利でしょうし。

 

日本から移住する。とかじゃなくっても、TOEICもとれて就職も有利になるでしょ。

 

選択肢が増えるのは、人生を有利にできるし、幸せにも資するでしょう。

 

外国語は、日本語をちゃんと勉強してから!という意見もあります。

 

ですがこの意見、実益がないというか、

好みだろ!?ってなるんですね。

 

ちゃんとした日本語も、重要っちゃ重要ですが、

 

‘しないべき’ってほんとは正しくなくって、正しいのは’すべきでない’ですが、

そんなの家庭や職場でいちいち気にするなんてないでしょ!?

 

或は、ら抜き言葉とか、助詞を略したりとか、

文法とかでは不正確かもですが、そっちが会話としては自然だったりもしますしね。

 

ですから、そこ迄’ちゃんとした’日本語は、勉強してもそんなには役に立たないかもしれません。

 

金科玉条だって、知らなくても困りませんからね。

 

そこに労力かけるなら、英会話ができるのがよっぽど役に立ちますよ!

 

    タイトルとURLをコピーしました