2025年の冬、台湾どうので日中が軍事で対立してます。
こういう報道がなされると、どうしても注目されるのが自衛隊。
最近でこそ自衛隊の評価はよくなりましたが、
古くは自衛隊が注目される度に「自衛隊はよくない」「自衛隊は憲法に違反してる」といわれたりもしました。
自衛隊のよしあしはおいといて、
自衛隊を違憲(憲法違反)とする訴えも、幾度もありましたが、
地裁で僅かに勝ったぐらいで、殆どは自衛隊を違憲とはしていません。
そういう判決が出る度に、
「どうせ司法だって国の犬なんだろ!」
という主張もなされます。
裁判所が意見判決したがらないのを「司法消極主義」といったりもします。
法学を勉強してなかった私も、「どうせ裁判所は国の味方さ!」と存じてました。
ですが法学を勉強し、改めて司法消極主義を検討すると、
必ずしも悪いばかりではないと勉強しました。
憲法、裁判所、民主主義について、再び検討してくれれば幸です。
※法律についての関連記事です。
司法権は介入しない
裁判所、憲法では司法権といったりもしますが、は、その気になれば裁判できたとしても、裁判しないのがあります。
まず憲法が明確に「裁判するな!」といってるのがあります。
資格争訟(55条)、弾劾裁判(64,78条)です。
どっちも国会議員についてです。
議院自律権、行政裁量、統治行為、団体内部事項、
です。
議院自律権は国会について、行政裁量は行政についてで、
3権分立から司法権が自制してるのです。
団体内部事項、部分社会の法理ともいいますが、は、一定の組織や集団には、司法権が抑制である、というのです。
なぜこんなのがあるのかというと、歴史でも深い理由があるのですが、
本題ではないので省きます。
統治行為とは、高度に政治な問題には司法権が介入しないというもので、
自衛隊の違憲訴訟でよく用いられます。
ここで述べたいのは、統治行為です。
憲法は法律じゃない!
まず理解してほしいのは、
憲法は法律じゃない!
です。
6法の1つですし、’法’とつくので、いかにも法律っぽい名称なので、誤解を招きます。
「法」という大きな括りがあり、
その法に、憲法があり、法律があり、条例があり、条約があり、…、します。
虫という大きな括りの中に、蚊があり、蜂があり、蛾があり、亀虫があり、…、
みたいに。
憲法と法律は、蚊と蛾が異なるみたいに、’親戚’ではあっても’家族’ではないのです。
而も、憲法と法律には、明らかな上下関係があります。
憲法が上、法律が下です。
憲法が法律より’偉い’のです。
だから違憲立法審査権があるのです。
公民で習った違憲立法審査権ですが、
「裁判所が、法律が憲法に合ってるか判決できるよ~」ぐらいしか習ってないんじゃないでしょうか!?
深い構造とか、そこまで詳しくは教えられてないでしょう!?
違憲審査権は、憲法が法律とは異なる法律で、法律より上だからできるのです。
もし法律と憲法が同格だったら、なぜ法律を憲法にあわせなきゃいけないのか!?
となるのです。
民法で損害賠償請求されたからって、刑法でも犯罪になるかといわれれば、なったりならなかったりするでしょう!?
もし法律が法律に適合させなきゃいけないとなると、
民法で損害賠償請求されれば刑法でも絶対に犯罪になるし、
刑法犯にしか民法での損害賠償請求できなくなってしまいます。
憲法と法律が同格であっては論理がおかしくなります。
憲法と法律は異なり、憲法が法律の上
だからこそ法律が憲法に適さなきゃいけないのです。
だからこその違憲審査権なのです。
違憲判決は民主主義を潰す
ではなぜ、違憲審査がいいとばかりはいえないのでしょうか?
理由はざっくり2つあります。
憲法と民主主義
憲法は2つを教えてくれます。
保障と禁止です。
保障ってのは、
人権保障とか。
禁止っていうのは、
戦をするな!とか。
ですが憲法は全てを定めてるんじゃありません。
憲法が定めてない、保障でも禁止でもないのがあります。
許容です。
この許容こそ、民主主義の範囲なのです!
許容の中で、「之は権利とする」とか、「之はだめ」とかやるのが民主主義です。
許容の中の民主主義で「あれはいい」とか「之はだめ」っていうのは、
民主主義で簡単に変えられます。
ですが憲法の保障や禁止っていうのは、憲法を改正しないと変えられないんです。
法律での権利は法律を変れば変りますが、
憲法での人権になってしまうと、憲法を改正しないと変えられません
まあ、憲法改正も民主主義っちゃ民主主義ですが、
一般の議会制民主主義、要は’許容での民主主義’より遥かに時間も労力も掛ります。
‘許容での民主主義’ってのは、法律を作ったり改廃したり、ですから。
人権が認められるならいいじゃないか!と思うかもしれませんが、
静かに暮らす権利を人権としてしまうと、祭りとかでドンチャンする自由が許されなくなるかもしれませんし、
嫌煙権を人権にしてしまうと、莨を吸う自由が許されなくなるかもしれません。
森羅万象を憲法でやろうとすると、一方的に利害を押しきり、押しきられしてしまうんですね。
そうしてでも訴えを守るべきか!?っていうので、裁判所は慎重になるのです。
法律と違憲審査
ていうか法律って、どうやって作るんでしたっけ!?
国民が国会議員を選挙し、国会議員が法律を作るんでしたよね。
草案は官僚が作ってるのかもしれませんが、
どっちにしろ国会が「はい」といわなきゃ法律にはならないのであって。
法律って、とても民主主義に作られるんですね。
では違憲審査はどうでしょうか?
まあ、裁判官は優秀でしょうし、善良な裁判官もいるでしょう。
選挙で選ばれたのか知りませんが、
さして優秀でもないのにいばってる国会議員もいるでしょう。
でも裁判って、民主主義かというと…、なんですね。
民主主義が皆無ではないですが、
どれだけ優秀で善良であっても、裁判官は試験にうかった’官僚’ですからね!
選挙で選ばれた国会議員が、何百人と議論して決られた法律が、
選挙では選ばれてない裁判官、而も最大でも15人しかいない、によって、
違憲というので「無効!」といわれるのです。
折角の民主主義が、卓袱台返しになるのです!
勿論、違憲審査権は必要だからあるのです。
民主主義って、いっても多数決ですから、
少数を苛めるのができてしまうんですね。
加えて、ヒトラーが民主主義で選ばれたみたいに、民主主義だって常に正しいとは限らないのです。
ですから民主主義の誤りを正す制度があるべきで、
この制度こそ違憲審査権です。
ですが民主主義を卓袱台返しする制度でありますから、
卓袱台返ししてでも違憲審査すべきかどうかは慎重になるべきです。
民主主義は、ある党が「1でいこう!」といえば別の党が「2でないと困る!」っていったり、
ある党が「アでやろう!」といえば別の党が「サにしてくれ!」といったり…
で、討論に討論して、
1.5になったり
カになったり
するのです。
反対者の利害も反映されるので、
我がの利害だけでは押しきれないのです。
ですが裁判って、勝ちは勝ち、負けは負け、ってはっきり判決します。
お互いの利害を調整して~、原告の1という要求は認めて~、被告のアという利害も混ぜて~、…
ていう判決は殆どないのです。
ですから、違憲審査をバンバンしてしまうと、
民主主義を迂回し、而も片っぽにだけ都合のいい制度がホイホイ認められてしまうのです。
裁判所が違憲審査権しないのは、合憲だからってだけじゃなくって、
違憲かもしれないけど民主主義で直すべきだろ!っていうのもあるのです。
統治行為でいいのか!?
では統治行為には違憲審査しないのはいいのでしょうか?
私はいいと存じます。
やはり高度な政治課題なら、違憲審査で押しきるんじゃなく、民主主義でするべきです。
防大を受けた私がいうのは失礼かもしれませんが、
政府見解はおいといて、自衛隊が戦力じゃなかったらどれが戦力なんだ!?とも思ってます。
ですが防衛という、国の根幹に関わるのは、やっぱり皆で民主主義で決るべきです。
憲法改正も含めてね。
私は反対しますが、
民主主義が自衛隊を違憲とするなら、また民主主義でしょう。
ここでいいたいのは、違憲かどうかというより、
違憲かを裁判所に判決させるべきか、民主主義でやるべきか?
であって、
私は統治行為は、民主主義でやるべき!といいたいのです。
読者さんは民主主義でやるべきと存じますか?
或は裁判所に違憲審査させるべきですか?
ぜひご意見がほしいです!
