「反・朝日新聞」について思うこと

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(※アイキャッチ画像はWikipediaより引用しました。)

 

 

過去の記事いくつか読んでもらったらわかると思いますが、僕は過去のある一時、防衛大学校の学生になりかけたことがあります。

 

 

なり ‘かけた’ っていうのは、ちゃんと着校はしたけどわずか4日そこにいただけで、正式な入校を待たずして辞めたということです。

 

 

量が多いので適宜載っけるという形で、いちいち記事1つ1つをこのページにリンクさせたりしないですが、
それだけ量を書くってことはそれだけ僕の人生に与えた影響が大きいということでもあります。

 

 

やっぱり防大前と防大後ではものの見方とかいろんなものが変わりました。

 

 

その中で今回僕が書こうと思うのは「報道」です。

 

 

僕の実家は朝日新聞とってます。

 

 

当然僕も新聞読みだしてくると ‘朝日的な価値観’ が形成されてくるわけですね。

 

 

いいか悪いかは置いといて、例えば産経なんかと比べた時に朝日ってあんまり自衛隊のこといいようには書かないじゃないですか!?

 

 

例えば自衛隊が事故おこしたりとかすると「責任体系はどうなってんのか!?」だの「日頃訓練つんでるはずなのに何やってんだ!?」とか「政府も含めてもう一度 ‘あり方’ を考える必要がある」とか…

 

 

最近知らないですけど。

実家暮らししてないから朝日読む機会もないし。

 

 

だけど実際内側見てみて思うのは、やっぱりみんなものすごく一生懸命毎日いろんなものに励んでるし、人もいい人多かったです。

 

 

まあ、もちろん僕だって4日しかそこにいなかったわけだし、よくいろんな方面で噂されてるようにいじめとかも、あるとは聞いてるんで、「向こうがお前に対して本性隠してただけやろ!?」っていわれれば、そらなんとも言い返せないですけどね。

 

 

すごい恥ずかしい話なんですけど、「俺は ‘旧式の’ 自衛官とはちがうふうになろう!!! そして自衛隊が変わるきっかけになれば」ぐらいは思ってたのは事実です。「留学行くより… 海外行くより…

 

 

だけど実際行ってみると ‘いてこまされた’ といえば ‘いてこまされた’ わけで、
そら向こうの方が経験も質も全然ちがいますし、僕みたいな野郎が歯がたつか!?、たつわけないんですよね!!

 

 

「そんなん当たり前やろ!!!」と思う人いるかもしれませんけど、当時の僕としては厳しい!!

 

 

何でかっていうと、やっぱりそら報道で「自衛隊のあそこが問題だ!!! ここがよくない!!!」なんていうの見ると、
「それだけの玄人でもあかんねやったら、じゃ逆に素人でもできんちゃうん!?」て、そういう逆転の発想になってもおかしくなかったんですね!

 

 

 

つくづく思うのは、「人間ていうのは受けた体験が大きい程その前後での ‘ぶれ幅’
も大きくなる」ということ。

 

 

‘人類普遍の法則’ とまではいいがたいと思いますが、当てはまる人もまた多いのも事実だと確信しています。

 

 

新聞読み始めた頃から朝日に慣れ親しんできた僕。

朝日の論調に影響を受けて「自衛隊は批判されやすい組織なんや」と思った僕。

そうしたことから心のどっかで自衛隊を、ある意味 ‘なめていた’ といえばそうかもしれない僕。

 

 

しかし実際に防衛大学校に着校し、たったの4日だけだけれどもそこで生活することで、
「なんちゅう慢心が俺にあったんや!!! 俺なんて全然まだまだでちょぽけな人間味やないか!!!」
っていう痛切な反省と、「留学行くより… 海外行くより…
「朝日の言うてることなんかあてにならん!!! 詐欺に会ったような気分や!!!」
っていう、今まで自分が触れてきた物事・情報に対する ‘疑いの目’ が自分の中で強烈にできていってました。

 

 

「転向」
って言葉ご存知でしょうか?

 

 

共産主義者が一気に右翼になることをこういうふうにいったりするんですが、当時の僕がまさにこんな感じでした。

 

 

以後、特に大学時代、例えば集団討論なんかで朝日の話題が出たり、政治的な意見をいう場面があったりすると、決まって極右的な意見や反朝日な内容を言うようになっていきました。

 

 

じゃあ大学を卒業し、社会人というものも経験してる今はどうかと書くと、
「ちょっと学生時代のはやり過ぎたなあ…」
と思っております。

 

 

意見が変わること自体は、まあ矛盾してるといわれることあるかもしれませんが、やっぱり経験その他によって十分ありえますし、そこまで悪いことではないと思います。

 

 

ただ一方で
自分がやらかしてしまった、まあ失敗といえば失敗について、まるまる朝日が悪いかのように思ってたのも事実ですし、「いい加減な情報で俺を左翼化させやがって!!!」みたいな、そういう政治的な立場とは別の、 ‘自分の失敗’ とか ‘ほろ苦い思い出’ とかが根幹にある場合での朝日への攻撃については、こらなかなか悩ましいんですな。

 

 

朝日は朝日で表現の自由はあるわけですし、結局はそれを受けとった僕がどう考えるかでもあるわけだから、僕が高校まで朝日に賛成してたことも ‘自己責任’ ちゃ自己責任ですし、本来自分自身と向き合うべき問題を反朝日に転化しても「根本の解決にはならないよ!」っていわれたら、それもそれでまた1つ正しい気がします。

 

 

起業家にわりと多い「自己責任論者」はこういう思考好きなんじゃないですか!?

 

 

ただ、僕が自己責任論をあまり好きでないってのもありますけど、
自分の政治的立場も自分の体験、あるいはその時の自分の感情なんかに左右されて当然だとも思いますし、
何でもかんでも疑ってかかってたら報道とのお付き合いなんかできるわけないし、
実体験がともなって、時には失敗もして、そうやって報道の言ってることを真に ‘理解’ できるようになるとも思いますし、
そう考えると僕の体験は情報と真に向き合うにおいて必要な ‘成長の過程’ だったともいえるわけで、過度に自分を責めたり人からヤイヤイいわれる筋合いもない、ていう気もします。

 

 

今でも朝日新聞は好きではありません。

 

 

でも過去と比べてアンチを唱える機会も少なくなりました。

 

 

単純に朝日に触れる機会が減ったっていうのもありますが、「朝日は朝日で言いたいこと言う自由がある。 俺は俺でそれに賛成する自由も反対する自由もある。 ええんちゃん!?お互い自由で!!」って思えるようになったからでもあります。

 

 

純粋政治的にメディアのいうことに賛成するか反対するかは、民主主義の一助になるという点で大事なのは書くまでもありません。

 

 

憲法学ではこういうのを「自己統治」といったりしますが。

 

 

問題なのは自分の過去の ‘ほろ苦い’ 経験なのか思い出なのか、を、「打ち消す」というのか「ごまかす」というのか…
そういう形で極右になったり極左になったりすることがいいことなのかどうか…

 

 

今の僕でもわかりません。

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