ソフトボールを習っていました

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今回も、

「僕が経験した習い事シリーズ」

でお送り致します。

 

今回は

ソフトボール

 

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市子連のソフトボール

 

小学校当時(ていうか浪人卒業まで)、僕は岸和田市に住んでいました。

 

岸和田市には「市子連」とよばれる組織があったんです。

(多分、今でもあります)

 

正式名称はしりませんよ!

(岸和田市子供…何とか何とか…連合会!? かな)

 

名前だけじゃなくって、

中身もどういう組織か、よく分ってないんですね。

 

PTA絡みの組織だとは思うんですけど…

 

少なくともPTAのおっちゃんが沢山いたんで…

 

で、その ‘市子連’ が、7月の、

確か夏休の直前だったと思うんですけど、

に、岸和田市の小学校からソフトボールチームを集めて、大会するんです。

 

 

小学校のソフトボールチームに参加

 

僕の通った小学校も、その大会に参加してました。

 

3年か4年か、から、学校内の練習に参加できるんですね。

 

学校から案内があったので、

僕も参加する事にしました。

 

近くの広場とかで野球して遊ぶ機会は、けっこう多かったので、

遊びの延長線上ぐらいにしか思ってませんでした。

 

グローブは自前で調達しなきゃいけなくって、

初めてグローブをはめた時は、やや本格的なものを自覚しましたけどね。

 

 

ソフトボール教室について

 

練習開始は、1学期の割と早い内からです。

 

7月の大会が終れば、その年の教室は解散です。

 

少なくとも当時の中央小学校では、通年での練習はせず、

(ほぼ)1学期だけの期間限定でのチーム編成・練習を、毎年くり返してました。

 

毎週日曜、

朝の9時~12時まで

 

とりたててユニホームみたいなのはなかったですね。

 

皆、動き易い私服で練習してました。

 

唯一、帽子だけは、小学校のロゴの入った帽子を、制帽として被ってました。

 

因みに、

調子のって、この帽子を被って、習字教室に通ってる途中、下級生から「だっさー!!!」って大声かけられた、という…

 

まあ、僕に百%の奇行があったんでしょうが、

それでも大声でばかにされたらカチンとはきますよね。

 

えー…

話を戻すと、

 

練習の中身については、事細かくは覚えていません。

 

大まかな流れとして、

投合い

ノック

試合形式

だったと思います。

 

昔の事なんで、定かではありませんが。

 

 

ソフトボールが恐い

 

 

ボールが恐い

 

それまでも、遊びで野球する機会は幾らでもありました。

 

遊びの野球で使ってた球は、ゴム球なんですね。

 

体に直撃しても、痛くないんですよ。

 

なので、球をおいかける事はぜんぜん苦じゃなかったです。

 

でもね、ソフトボールは違うんですよ。

 

硬いんですよ!! 球が!!

 

受け損なうとかで、万一、体に直撃をうけると、けがするじゃないですか。

 

だから、球をおいかけるのが恐くてですね…

 

恐怖心からか、最初は投合いすらままならない状況でした。

 

ゴム球なら平気でできたんですけどね。

 

 

捕手が恐い

 

僕、相対的に外野をよく

守ってたんですけど、

一時、捕手やってた事がありまして。

 

何でそんな所の守備についたのか分りませんが。

 

一応マスク(っていうのかな!? 網目状の、お面みたいな奴)はつけてたんですけど、

胸当(チェストプロテクタっていうんですか!?)はなくって。

 

まず防具がない、っていうので恐かったんですね。

 

バッターが球を打つのも恐かったです。

 

投手がなげて、

「来る来る」って覚悟してたら、

球の軌道が急にかわるんですよ!

 

安打とかゴロとかで、打ち返してくれるんならまだしも、

チップとかファウルとかで、軌道をそれてもなお捕手にむかってくる球マジで厄介です。

 

急に方向かえられて、肩とか脚とかに当ってくるんですから。

 

バットもまた恐いですよね。

 

バッターって、金属バットを思いっきりふるじゃないですか。

 

あれが頭に当りそうで、それもまた恐いんですよね。

 

よく後頭部にバットが直撃しないな、と思いますけども。

 

1回、球を見失って、僕のみぞおちに球が直撃した事がありました。

 

胸当も付てなかったので、暫く悶え苦しんでました。

 

その後は胸当をつけさせて貰いましたが、

以後、捕手する事はなくなったと思います。

 

 

恐怖への改善

 

残念ながら、捕手の

・バットが恐い

・予想不能な球の軌道が恐い

の改善はできずじまいでした。

 

只、投合いやノック等での「球が恐い」は、ある程度は改善できました。

 

最初、チームに入った時、

「球をうける時はグローブを胸の前で構えろ」

って指導されたんです。

 

だから僕は、その通り、球をうける時にグローブを胸の前で構えていました。

 

どんな球がきても!

 

例えば、球が図の位置にきても、僕はこの構えを崩しませんでした。

 

見かねた、ある指導員のおっちゃんから

「球のきた所にグローブをもっていけ」

と指導をうけました。

 

図の様な感じですね。

 

そしたら、それまでのエラーの山が嘘の様に、どんどん球をとれましたね。

 

投合い、ノックも、皆と同じ位の腕にはなったと思います。

 

球がとれる様になると、球への恐怖も格段に薄れましたね。

 

それでも恐い時は恐かったですけど、

「あ、うけれるんや!!!」っていう自信が勇気をくれましたね。

 

おっちゃんから教えて貰ったグローブの扱い方って、普通に考えれば全くもって合理的なんですが、

 

「グローブは胸の前で構えるんや」って指導を最初にうけて、

しかも球を怯えてる状況だと、

「教えられた事じゃない受け方をすると、どういう事態になるか分らない」

恐怖があったので、

当初の教えをばか正直に守る以外の思考回路をもてなかったんです。

 

「グローブを胸の前で構える」というのが、1種のお守りになってたと書くか…

 

 

その他の実力

 

 

内野の守備

 

最初の方は内野を守ってました。

 

中でも2塁はよく守ってたと思います。

 

ショートと1塁も守った経験あるかもしれませんが、

ちょっとそこら辺は記憶が定かではないので。

 

ゴロは比較的に標準並にとれてたと思います。

 

一方で、ライナやフライは殆どとれてなかったです。

 

投合いでとれてんだからライナやフライでもとれるだろう、と思うかもしれませんが、

人間が手でなげるのと比べて、バットで打返してくるのは、速さから何から、遠慮会釈ありませんから、

投合いの時にはない恐怖がありますよ。

 

それと、内野って、誰が球とるのか判断に迷う時あるじゃないですか。

 

大体そういう時って、他の人に活躍して貰って、僕はカバーに回る事が多かったです。

 

自分から積極的に日陰に回るのは、それはそれで悔しいっちゃ悔しいんですが、

球とれなくて、後で皆から色々いわれるよりかはましですし。

 

それでも僕にきた球は…、よくエラーしてました。

 

僕がとる回数自体は少なかったから、何とかその辺はうまくごまかせたんじゃないかなあと思っています。

 

 

外野の守備

 

後の方は外野の守備につく事が多かったですね。

 

圧倒的にライトが多かったです。

 

極たまにセンタを守る事もあったとは思いますが、

レフト守った記憶はないです。

 

基本は内野の守備と同じで、ゴロとるのがやっとでした。

 

ちょくちょくエラーもしてたし。

 

外野の場合、ライナがとんでくる事は余りなかったですね。

 

僕にとって厄介だったのはフライです。

 

僕、フライの落下点が分んないんですね。

 

なので、よー落としてましたわ!!

 

これも幸か不幸か、フライとんでくる絶対数が少なかったので、問題になる事はなかったです。

 

 

打手として

 

打手としての腕前も全然だめでした。

 

安打を打った記憶がないんですよね。

 

打てばゴロばっかり。

 

只、出塁はよくしてました。

 

何でかって書くと、四球をよく選んでたから。

 

打つより打たない方が塁にでれるとは、何とも皮肉ですが。

 

一旦、塁にでたら、盗塁盗塁で、あっという間に3塁までいけました。

 

盗塁をさされた記憶はありません。

 

小学生の盗塁は、さす方が至難の業ですね。

 

プロなら、盗塁の成功率は一気に下りますが。

 

因みに僕、ヘッドスライディングできませんので、

宜しくお願いします(笑)

 

あれ、どうやってやんのか、未だによく分んないんですよね(苦笑)

 

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