剣道をやめた経緯

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さて、大分と回数を使って剣道の事を書いてきました。

 

市剣少にしろ

心技館にしろ

部活にしろ、

「楽しかったで~す!」って話しか書いてきませんでした。

 

でも、まあ、各記事で仄めかしてはいるんですが、

結論を書くと、中学でやめてるんですね。

 

より正確に書くならば、高校でも剣道部に、仮入部はしたんですが、

正式に入る事なく、そこをもって剣道から身をひきました。

 

あれだけ「楽しい」「楽しい」っていってたんだったら、高校でも続けりゃいいと思うでしょ!?

 

「じゃあ何でやめたのか!?」

その経緯を、今更ですが記述しようかと。

 

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僕の信条

 

「経緯を説明します」と書いといてなんなんですが、

最初に、当時の僕の剣道に対する信条を書いておこうかと。

 

「剣道の全て -思想、防具、編-」でも書きましたが、

剣道には、自らを厳しく追いつめるのを是とする文化があります。

 

まあ勿論、道場や先生や生徒の雰囲気によっても変わってきますし、

必ずしも強さや己の鍛練が主目的じゃない道場もあるでしょうから

一概には書けませんがね。

 

僕は、部活を含め、3つの道場を経験してます。

 

表向は3道場とも「厳しさの中で己を鍛練せよ」とは言いはします。

 

でも実際は裏で遊んでたりとか、結構するから、

なかなかの ‘ザル目標’ でした。

 

そういう環境で稽古してきたもんだから、僕としては

「厳しくしたり勝つ事だけが全てじゃない」

「仲間達と和気藹々、豊かな剣道生活を楽しむべきだ」

という考えをもつ様になりました。

 

特に中学の1年ではいじめにもあってたし、

僕をいじめてた奴らと同じ高校には行きたくなかったから、受験勉強を頑張る必要がありました。

 

学校や勉強が否応なく厳しく中で、

剣道まで、それも自分から率先して厳しくなったら、やってられんでしょ!?

 

人間、生きてたら嫌でも厳しい現実と向き合わねばならない時はありますし、

何も ‘生活に必要という訳ではない’ 事に対してまで厳しさを我慢する必要はないのではないでしょうか?

 

そういう風な思いが強かったので、僕は剣道に対して、

「(稽古以外の遊び等も含めて)剣道を楽しみたい」

「剣道を通して(人の輪を広げる等して)人生を豊かにしたい」

と思う様になっていました。

 

もっと書くと、

剣道に安らぎを求めていた

訳ですな。

 

厳しい稽古を完全否定してた訳ではありませんが、

それは自分が楽しみ・自分が豊かになれる範囲内であって、

やたらめったらビシバシしごくとか、「とにかく試合に勝てばそれでいい」というのは違うと思っていました。

 

2年の前半、何かの大会があって(泉南地区大会かな!?)、

会場裏で、どこの中学か知らないんですけど、先生が生徒を何回もひっぱたいてる光景に遭遇しまして。

 

多分、叩かれてた子、試合で負けたんだと想像してるんですけど。

 

その光景を僕、後輩と一緒に目撃したんですけど、

僕、その後輩に「俺やったらあんな部活に入らんな!」って口たたきましたね。

 

日頃の息抜きというか、悪く書けば「剣道=遊び」と思ってた節があって、賛否両論ある考え方だとは思いますけど

僕は ‘楽しむ’ というのを信念にしていましたし、

「厳しき事は美しきかな」みたいな考え方を嫌ってもいました。

 

そんな僕の考え方が、後々、僕の首を絞めてしまうんですがね。

 

 

剣道から身を引いた経緯

 

 

1つ上の先輩の引退

 

本当の本当に1番最初に兆候が見られたのは、心技館の稽古に行かなくなった時です。

 

ただ、その頃は部活が余りに楽しくて、剣道そのものが嫌になるなんて思ってもみませんでした。

 

本格的に兆候が現れたのは、1つ上の先輩が引退した時ですかね。

 

8月頭の事だったんですけど、

大会がありましてね。

 

多分、「泉南地区大会」だったと思うんですけど

(そして多分、僕らの中学校が団体で優勝したと思うんですけど。因みに団体優勝時、僕は補欠だったので、1戦もしてないにも関わらず賞状を貰いました)

 

地区大会で優勝してしまった以上、更に大きな大会に出る必要が生じましたが、

地区大会は先輩達にとっては引退試合だったんです。

 

8月上旬にその大会があったので、

中旬以降、先輩達の稽古して出席率はガクンと下りました。

 

1日2日で気づくものではありませんが、

先輩の引退により、「急激に部活が面白くなくなってきてる」事に、時がたつにつれて気づき始めます。

 

当時の剣道部の状況としては、

・3年(僕の1こ上の先輩)=十数人

・2年(僕ら)=3人

1年(僕の1こ下)=数人

という人員です。

 

僕らの1こ上の代が圧倒的に多かったんですね。

 

「剣道部が楽しかったです」って部活の記事で書いてて、その理由が「いっぱい遊んだからです」とも書いてるんですけど、

そもそも大人数で遊んだ方が楽しいって言うのもありますし、

上下関係はあるものの、1つ上の先輩達とは ‘気の合う仲間’ だったので、

1こ上の先輩達の存在は、気づかぬ内に僕にとってとても大きな存在になってました。

 

いなくなってから初めてその存在の大きさに気づく、というのはよくある話で…

 

 

顧問の性格が変わった

 

剣道部の顧問ですが、

他にもいたのですが、主要な顧問はO先生とY先生です。

 

O先生は50代、かな~と思しき、教士7段の熟練の先生。

 

Y先生は若くて爽やかな先生。

 

勿論O先生もいい人ですが、

年端が近く、親近感が持てるのもあり、入部直後から僕はY先生とはすぐ仲よくなりました。

 

入部して1年ぐらいは、Y先生ととても仲よくしていたのですが、

1年半になるかならないか位から徐々に変化が生じてきました。

 

僕が2年の1学期の事だったんですけど、

Y先生が偉い怒った事がありました。

 

‘烈火の如く’ って感じでしたね。

 

何がきっかけで激怒したのかまでは覚えていませんが、

多分、部員がふざけていたんでしょう。

 

それまでは稽古に多少の緩みがあっても寛大だったのが、

この事件を機に部員達への監督を強化していく事になります。

 

それまでもそういう思いはあったんでしょうが、

「厳しい稽古で、試合に勝てる強い剣道部を」との雰囲気を、より鮮明に出してくる様になります。

(とはいっても、普段の授業終りでの ‘厳しい稽古’ はしれていますが)

 

先輩がいる間はそれでも何とかなっとったんですが、

引退して部の人数が減ると、部の雰囲気も先生の方針に染まり易くなります。

 

さっきも書きましたが、

僕は「強くなる」より「楽しむ」に重点をおいていたので、時間をおう毎に先生への反発心が強くなっていきます。

 

2年の後半以降、段々イライラが多くなっていきました。

 

 

主将と喧嘩

 

1つ上が引退すると、僕らが最上級生になります。

 

僕らの代は3人しかいませんでした。

 

役職が主将と副主将の2つなので、役職につく率は2/3です。

 

僕は副主将になりました。

 

といっても、実際に仕切るのは殆どなかったんですがね。

 

主将が仕切ってくれたから。

 

副主将の出番なんて、主将が休んだ時ぐらいです。

 

まあ、無責任な役職でしたよ。

 

対して主将は、稽古に出る限りは稼働率100%です。

 

自分が出席する限り、稽古を仕切るのは主将なんですから。

 

主将と僕は小学校からの剣道仲間で、通ってた道場も一緒でした。

 

もっと書くと、小学校から組も一緒でした。

 

個人的には気に入らん所も多々あったのですが、

少なくとも剣道という点では仲間でしたし、中学に入ってからはそれなりにうまくやってました。

 

そんな主将と、部を巻きこんでの大喧嘩をしました。

 

根本の原因は、「考え方の違い」です。

 

先程も書いた通り、僕は「剣道を楽しみたい」と思っていました。

 

いや、寧ろ「剣道 ‘で’ 楽しみたい」と思っていました。

 

これって、悪く書けば、剣道を遊びと思ってる、って事じゃないですか。

 

実際そういう発想はありましたよ。

 

僕はこの考えを悪いとは思ってませんでしたし、今でもそうです。

 

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