小学校でいじめの加害者になりました

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小学校でいじめの加害者になりました

 

ここ最近の記述では、苛めを主題にしてきました。

 

これは、己が被害者としてです。

 

散々「私はこんなのされたんです! あんなのされたんです!」と書いてきて恐れ多いのですが、

実は私は苛めの加害者になった経験もございます。

 

被害者面ばっかりするのも不公平ですので、加害者としての体験談を記述したく。

 

今回は小学校での体験談です。

 

被害者はMとYです。

 

 

背景

 

 

人的要因

 

MとYは共に未熟児として生まれました。

 

しかもMは左の手と腕が若干不自由でした。

 

身体的なハンデの他に、Mは

鼻水をしょっちゅう垂らしたり、

漫画の登場人物かの如き言動を素でやったり、

ゲームばっかりで外で遊ぼうとしないし、

キモがられたり、ばかにされる言動が目立つ子でした。

 

おかしな子ではありましたし、私としてはゲームばっかりせず外でも遊んでほしいという、要望というか不満というか、はございました。

 

でもMは、私には無害だったので、私個人としてMを嫌ってはいませんでした。

 

ですが、周囲の子でMを「きもい」といってる子は沢山いました。

 

Yは、未熟児たる以外に身体的問題はなかったと記憶しています。

 

が、

とにかく仕切りたがりで言動も上から目線。

 

そのくせ己の事は全然できてない。

 

何様の積りだったんでしょうか!?

 

低学年の頃、同級生とYの家に遊びにいったのですが、

「太眉毛はだめ」という、よく分らん理由で追返されたりもしました。

(私、眉毛が太いんですよ!)

 

そういう性格も相まって、Yは皆から煙たがられてましたし、

はっきり申して私もYは嫌っていました。

 

 

環境要因

 

MもYもハンデを背負ってるというので、先生の対応もMやYに甘くなります。

 

当然の処置ではありますが、

差をつけられた我々からすると、残念ながらやはりいい気はしないんですね。

 

其だけならまだしも、

我々では許されないのがMやYなら許される

MやYには免除された義務は、然し我々は負わねばならない

なんてのもございます。

 

そうなると、MやYが只単に祭りあげられるのみならず、

我々がMやYに隷属してしまいます。

 

「逆差別だ!」と主張したくとも、

相手は仮にも社会的弱者。

 

そういったやり場のない不満が欝積し、

やがて苛めへと発展していったのかと…

 

もう1つ考えられるのは、我々の母校たる小学校は、1組しかございませんでした。

 

周辺の小学校は、2~4組ございましたが、

なぜか我々の母校たる小学校だけ児童の数が少なかったのです。

 

1組しかないので、クラス替えがございません。

 

故に合わない奴とさいならできる機会がないんです。

 

そうした、ある種の密閉された環境も、苛めが発生してしまった要因ではないかと。

 

 

どんな苛めだったか

 

まずは悪口です。

 

本人達に面と向かっていうのもあれば、

本人達のいない所で陰口をいうのもあります。

 

特徴的なのは、’エキス’。

 

体、持ち物、机や椅子…

そういったものにふれると「エキスがつく」とされます。

 

それが気持ち悪いから、ついたエキスを壁とかにつけるのです。

 

いつ頃からこんな行為が横行したかは忘れましたが、

年単位の長さはあったんじゃないかと…

 

学級の何人が加担したか、その正確な人数は不明ですが、

薄れゆく記憶を辿るに、8割位は何らかしの形で苛めてたんじゃないかと。

 

しかも本人達の目の前でやります。

 

こんなの長期間されたら本人達には非常に辛いかと…

 

ざっくりとした苛めの実態は上記ですが、

個別具体で、誰がどっちに対して、どういう苛めをしていたか!?

 

それは1人1人まちまちです。

 

この記述は私の体験談ですので、私がどんな苛めをしたのかと申せば、

 

Mに対しては、

Mを苛めてる奴の横で笑う。

ですかね。

 

Mを苛めるのは、よくないとは存じていました。

 

一方で、積極的にMを苛めてる奴らとの関係性を鑑みると、

「やめたれ」とか「よくない」とかは言えなかったし、言う気もなかったです。

 

加害者側の気持ちも理解してましたからね。

 

只、Mからすると、私も加害者 ‘側’ にいたので、

「同罪」と言われても仕方ないっちゃ仕方ないです…

 

では ‘エキス’ はというと、そんなに関わりませんでした。

(一切か、というと、そこまで断言できる自信はございませんが…)

 

言動やら鼻水垂すやらが、キモいかキモくないかといったら、キモいです。

 

鼻水とか、「かめよ」って、私でも思いますよ!

 

言動だって奇怪でしたし、「頭おかしいだろ」とは思っていました。

 

でも ‘エキス’ と称して苛めなければならないかというと、そうでもなかったです。

 

どうしてもキモかったら「鼻かめよ!」っていえばすみますし、

言動だって奇怪なだけで私には無害ですから。

 

それに ‘エキス’ は、「其は流石にやりすぎだろ」という気持ちも、あった、っちゃありました…

 

なので、私としては、誰憚らず、

Mの体にふれる(肩叩くとかですね)、机や椅子に座る、物借りる、

は平気でやってました。

 

私はMを「頭おかしい」とは思っていましたが、

苛めなければならない位に嫌ってもいませんでした。

 

なので言い訳がましいかもしれませんが、

私としては自制は効かせていた積りです。

 

一方でYへは、というと、同級生と同じ位に苛めてました。

 

悪口もいいましたし、エキス苛めもしました。

 

特筆すべきは

掃除

 

我が母校の小学校では、1年生~6年生が混在した「班」が組織され、

その班で校内を清掃します。

 

6年生で、私はYと同じ班になりました。

 

6年生だったので、私は班長、Yは副班長でした。

 

私はYに、副班長としての仕事を一切させませんでした。

 

連絡帳を、班長か副班長が書かないといけないのですが、

Yに連絡帳を触られなくなかったんです。

 

他の同級生であれば、班長の職責を全てYに丸投げした同級生もいたでしょう。

 

でも私は、丸投げはやりすぎだと考えました。

 

「楽させてあげるから関わるな」

って魂胆ですね。

 

班は半年に1回変るので、

Yと同じ班だったのは半年間です。

 

離れて僕もせいせいしましたし、

YもYで、せいせいしたんじゃないでしょうか。

 

 

担任に逆ギレ

 

5年生だったか6年生だったか…

苛めを見かねた担任が学級会を開きました。

 

もうその頃には苛めは周知になってましたから。

 

当然、担任は激怒しますね。

 

でも、そこで一方的に言われてるだけの私じゃないです。

 

我々は我々で言い分はございました。

 

それに、人を悪く言ったり扱ったりする際の、私なりの ‘義’ がございました。

 

「己より強い者へ堂々と主張する」

です。

 

イチロー元外野手がインタビューに答え、

「悪口を言いますか?」って質問だったんですけど、

回答としては「言う」と。

 

「本人に面とむかっていえるなら言ってもいいんじゃないか。

でなければ言うべきじゃない」

って旨の回答だったんです。

 

その理論は私が子供の頃から聞いてた理論で、

私も賛成してました。

 

ですがこの場合、本人達にむかっては言えるじゃないですか!?

 

だって向こうの方が弱いんだもん。

 

なので、私よりも強い人、例えば先生から怒られたとしても毅然と主張せねばと信じていました。

 

先生に対して堂々と主張すれば、

先生から制裁をうけるかもしれない、

不利益取扱を受けるかもしれない。

 

其でも尚、主張できるなら、まあ大したもんじゃないですか!

 

それ位の覚悟がなければ、単なる卑怯者でしかございませんからね!

 

で、学級会で担任が激怒したので、

「我が義を示す絶好の機会」

と奮起しました。

 

一頻り担任が怒った後、

「そんなの言うけどさ、先生…」と私が切出しました。

 

学級会で皆の前で言うのは、流石に勇気いりましたね~

 

啖呵切った内容としては

  • 先生達はMやYを依怙贔屓しすぎ
  • MやYは、できないや助けてくれるのに甘えてるのではないか
  • MやYももう少し自助努力してほしい
  • Yは、できもせんのに人を指揮るから、指揮られた方としては不愉快

だったと思います。

(違ってたらすみません…)

 

私が啖呵ったのを機に、他の児童達が口々にMやYへの不満をいいました。

 

それまで学級に溜ってた不満が一挙に噴出しました。

 

学級会の半分位は ‘逆ギレ’ 時間だったでしょうか。

 

MやYにとっては地獄だったと存じます。

 

自分達の悪口を、学級会という公然の会で、担任に憚らず言われ続けるんですから。

 

一方で我々は、それまで我慢してた鬱積をぶちまけれたので、

少なくとも気分は多少なりともすっきりしました。

 

 

学級会後

 

学級会にて、我々の主張にもそれなりの理がを担任が理解してくれたのか、

その後の担任の言動には変化がございました。

 

多分、以後かつ別の学級会だったと思いますが、

‘言われたくない悪口を発表しましょう’ 会がございました。

 

言われたくない悪口を予め公表し、お互いの嫌の理解と、不用意にその悪口を言ってしまうのを避ける目的があったんでしょう。

 

その学級会それ自体には、さしたる効果はなかったと存じていますが、

担任の意識に変化が生じたからこそ開かれた学級会だったのではないでしょうか!?

 

それ迄の、先生達によるMやYへの判官贔屓も、少なくとも担任についてはマシになったと存じています。

 

MやYへもきちんと怒ってくれる様になりました。

 

Mを突飛ばして怒ってたのもありましたね。

 

学級会であれだけ啖呵を切った私が申すのもアレですが、

流石に突飛ばすのはやりすぎでは…、と思ったりもしまさた…

 

その位に大きな変化があったんです。

 

結局、苛めは完全には解決できなかったと思っていますが、

学級会の後は、多少はましになったんじゃないでしょうか…

 

私としては、言いたい主張はできたし、

担任もそれなりに公平に聞いてくれましたし、

それらで私個人のMやYへの不満が幾許かであってもましになったので、

私の意識が低下したのも大きいとは存じますが…

 

なので、他の児童達が苛めを低下させたか迄は断言できません。

 

解決が最善だというのは承知しています。

 

でも、根深い苛めをその1学級会で解決なんて、まあできないです。

 

私としては、

「変化があった」

というのを肯定的に捉えるべきと存じます。

 

 

考察

 

あれから廿年近くたちました。

 

いい年こいた私が今、思うのは、

やはり、己よりも強かった担任に対し、堂々と主張できたのは誇るべきだと。

 

先生に隠れてこそこそやってたら単なる弱い者苛めでしかございませんからね。

 

ある種の矜持といいますか、

筋を通せたのは未だに誇りです。

 

一方で、今になって、

「我々に配慮があったのか?」

という反省がめばえています。

 

MやYのハンデは、養護学級に入るべき重さではなかったかもしれません。

 

ですが、ぎりぎり健常者と同じ学校生活だったにしても、

我々からすれば「その位は大したアレじゃないだろう」だったにしても、

MやYにしてみれば、我々の想像を絶する苦悩が、もしかしたらあったのかもしれません。

 

それを我々が気遣えだかというと、

気遣えませんでした。

 

其が、我々の1番の非ではないかと存じています。

 

 

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