同志社大卒の私が、同志社を語るシリーズ。
と語ってきました。
今回はいよいよ本丸ともいえる、講義について語ります。
概要
想像つくでしょうが、基本はつまんないです。
この学問をしたい、とか、
この教授が好き!とか、
あるかもしれませんが、希有でしょうから。
語学とか、少人数の授業もありますが、
多くは百人単位の教室で、講演会みたい。
理系は知りませんが、文系は法学部に関わらず、殆どがそうかと。
あるあるですが、後ろ程ひそひそ話やらで態度が悪いです。
出欠確認や遅刻は、語学とか少人数はきっちりしてますが、
大人数は出席とったり、遅刻を咎めたりってのは、殆どないです。
先生によってはするかもしれませんがね。
出欠確認はしませんが、授業の終りに小報告書を書かせ、その提出でもって出席、とする先生はちょこちょこいました。
とはいえ、大学の授業は高校までより緩い傾向です。
教科書
高校までと異なり、’検定教科書’ってないんですね。
じゃあどうするのか?っていうと、先生が、多くは専門書ですが、「この本買え」って指定します。
ハリーポッターをご存じであれば、新学年が始まる前に手紙で「今年のこの科目の教科書はこの本」ていわれますが、
ああいう印象ですね。
でね~、先生によっては、己が著書のを教科書にするんですよ。
「ちまちま印税を稼ぎやがって、せこいな~」って思ってました(笑)
聴講
勿体ぶった漢字ですが、要は’潜り’です。
我らの代は、出席とる先生は、語学以外はそんなに多くなかったですし、
取られたとて名を書いた紙を出すとか、授業の報告書を出すとかでしたから、
しかとしようとすればできたんです。
なので、取ってもない授業にこっそり出るとか、他学部の授業に出るとかも、できた、っちゃできたんです。
ばれたら摘発される可能性はありますが、
私もばれなかったですし、ばれたなんて噂も聞かなかったので、どうなるかは不明です。
そもそも聴講する学生が稀ですから。
「さっき授業がつまらんていったじゃん! なぜ潜ってしても授業に出るの?」
って疑問でしょう。
多くの学生にとっては授業も先生も面白くないでしょうが、
稀に向学心ある学生もいるもんで…
知的財産法のある教授は、学生の折、たまたま知的財産法を聴講し、そっから知財に興味を持ち、教授になったんだそう。
普段の授業も己が選びますが、ある程度は大学が決めますし、単位だの卒業だのもあります。
比して聴講は、そういったのがないですから、より純粋に好きで受講できます。
聴講で人生が変るなんてかなり稀ですが、
せっかく学問しに大学に来てるんですから、そういうのもありかな~とは存じます。
加えて、大学で授業するのは教授とかだけじゃないんですよ。
我らの代では、恐らく読売だったと存じますが、記者とかが同志社に来てくれて授業してくれたんですよ。
毎週、異なる人が来てくれて、その人の体験談とか、語ってくれて、
普段の教授の授業にはない面白さがありました。
この授業は、私はちゃんと履修届を出して履修したので聴講ではありませんが、
京大の授業を聴講したりもしました。
今出からちゃりでちょっとこぐと、京大があるんですよね。
ていうか、京都市は大学が多いですから、他大学の聴講もし易いんですよ。
此は京都市にある大学の利ですね。
私が聴講した京大の授業は、現職の官僚が来てくれる授業でした。
官僚になりたかった。っていうのもありましたけど、
普段の授業では聞けないのが聞ける。のが面白かったです。
語学
法学部では、1種類の授業につき、多くは2単位でした。
ですが語学は1単位でした。
此が地味にうざくって…
同志社は春学期と秋学期の2学期で、
実質、半年も受講し、期末試験を合格し、やっとその授業の単位認定です。
半年も費やして、語学は1単位しかくれなかったんです。
しかも出席とられる率も、他の科目より高かったですから、さぼり辛いんですよね。
他の科目だと、期末試験さえ規定の点とれれば、授業を全てさぼっても単位認定される授業もちらほらあったんですが。
語学は費用対効果が悪かったんです。
大学生はもう大人ですから、私みたいなが尊大にいうべきではないかもしれませんが、
語学の単位は1,2回に取ってると楽です。
3,4回ともなると、ゼミとか己の専門の勉強がありますし、進路に備えてインターンやら院試の勉強やらもします。
そういうのに気がいってるのに、1,2回で取りそびれたからって語学を受けるのって、かなり面倒ですよ!
法学部では、通常の語学の科目に加え、「原典講読」って授業がありまして、外国語の長文読解の授業ですが、
原典講読は語学の単位になります。
英語も第2外国語もあり、
1,2回で語学の単位を取れなかった3,4回、1,2回の内に語学の単位を取りきりたい学生が受講してました。
私は、入学したてでは第2外国語はロシア語でした。
日本から近い割に学ぶ人が少ないかも!?
勉強してれば役に立つかも!?
と思ったからです。
ですが、途中から中国語の原典講読を受講し、1,2回の内に語学の単位を取りきりました。
高校時代、必須ではなかったんですが、中国語の授業があって、希望者は受講できました。
私も受講してて、多少は知ってたので、こういうやり口ができました。
同志社の語学は、我々の代は、英語8、第2外国語8、計16単位が卒業に要ったと記憶してます。
第2外国語って、例えば韓国語を選んだら韓国語以外は履修できないのかといえば、そうではありませんでした。
ですから私みたいに、異なる言語を受講して、第2外国語全体の単位を取る。
っていうのができたんです。
第2外国語ですが、中国語は元々素養があったから私には簡単でしたが、
当時の同志社で、恐らく1番楽といわれていたのはロシア語です。
ロシア語は、言語としては難しいんですが、難しすぎて教えるのも難しいから、簡単にならざるをえない。
というのが噂でした。
今も簡単かは知りませんが、
確かに苦労した記憶はないですね。
試験
中には期末に報告書を出して単位認定。っていう教科もありますが、
殆どの教科は、学期末に試験があります。
試験期間はありますが、我らの代では、最後の授業を期末試験とする!っていうのも増えていました。
「大学の試験って、持込できるらしい」という噂、あるんじゃないでしょうか?
私も高校生でそんな噂がありました。
法律学科では、教科によっては6法の持込を可とする試験はありました。
稀ですが、講義で配られた資料の持込を可とする試験もありました。
ですが、予想より持込可の試験は少なかったですね。
私が履修してた教科では、持込可の試験は半分…、いやもっと少なかったかもしれません。
持込可かどうかは先生によるので、運ですね。
大学の授業って、出欠が煩くなかったり、遊び、バイト、部活、就活…、やらで、授業さぼる学生も結構いるんです。
そういう学生でも試験に受かって単位をとらなきゃいけませんが、
強い味方があります。
「講義ノート」です。
まじめに講義に出てる学生のノートを、殆ど近所の個人経営の本屋ですが、が買って、複製して学生に売るんです。
私はそんなにはさぼってなかったですが、
そうでもちんぷんかんぷんな講義とかでは、講義ノートには助けられました。
我らの代は講義ノートは繁盛してましたが、
今は縮小してるみたいですね。
あくまで噂ですので、正しいかも不明ですし、
縮小してるんなら、その理由はもっと不明です。
成績
大学の成績はGPAで表されます。
同志社では高い順に、A,B,C,D,Fの5段階で成績がつけられます。
A=4,B=3,C=2,D=1,F=0
で点がつけられ、
恐らく平均され、「この学期のGPAは幾ら」とされます。
Fは落第です。
D以上とれれば単位とれます。
就活や公務員試験で私のGPAを問われたり、噂に聞いたりしなかったので、
GPAを問う会社や役所が、ないとは断言できませんが、殆ど気にしなくていいでしょう。
Dばっかでも卒業できてれば最低限はよし!です。
GPAが要るのは進学とかですかね。
詳しくは知りませんが、院へ進学では、院試だけじゃなくって、GPAも見られるみたいです。
単位とれてるかは全学生が気にしますが、
GPAを気にするかは就職か進学かて異なるかと。
ゼミ
1人の先生に付いて、少人数で研究や、発表します。
授業というより研究会や発表会みたいです。
ゼミは先生の色が濃く出るので、より具体にどうするのかはゼミによって大きく異なります。
ですから「ゼミとは、こう!」っていい辛いんですよね。
内容もゼミ次第、人数もゼミ次第、選抜もゼミ次第、飲み会もゼミ次第、雰囲気もゼミ次第…です。
同志社は学生が多いですから、少人数とはいえ、大所帯になれば廿人をこえるゼミもあったかと。
そんなに多かったら、学校の1学級ですよね。
少ないと十人ぐらいのゼミもありましたが。
先生や研究内容で人気が左右されますので、人数の偏りはどうしてもあります。
選抜も先生次第です。
志望理由を書かせる先生は多かったかと。
噂ですが、公式にはいわないものの、裏でGPAを見てる先生もいるとかいないとか…
人気のゼミだと、選考に落ちる学生もいます。
私もその1人…
2次募集、3次募集も、あるゼミはあるので、全ての募集に落ちてゼミに入れなかったって学生は聞かなかったですが…
飲み会や雰囲気もゼミによって大きく異なりますね。
酒好きの先生だと飲み会は多くなりますし、
チャラいゼミ、お堅いゼミ、みたいな雰囲気もゼミによります。
若くて綺麗な女の先生、TVにも出てる有名な先生、とかのゼミはチャラかったですね。
ゼミの単位は、卒業に必修の単位じゃなかったと存じます。
なので、入りたくなければ入らなくていいです。
ですが、「ゼミは入るもんでしょ」っていう雰囲気や、就活の学チカもあり、入らない学生は殆どいなかったですね。
当時の同志社の法律学科には、’卒論’がありませんでした。
その代りにゼミ論がありまして、
各ゼミで書くのですが、ゼミ論が卒論の代りでした。
ですからゼミに入らなければ論文すら書かずに卒業できてしまいました。
じゃあゼミ論は?というと、ゼミ論もゼミ次第ですので、一概にこうとはいえないですね。
まちまちだらけ
同志社ぐらいおっきい大学になると、「大学としてこう」ってのはなかなか言えないんですね。
学部学科によっても異なるし、先生によっても異なるし…
かなり雑多な記述になってしまいましたし、読辛かったら恐縮ですが、お役に立てれば幸です。
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