苛め

ブログ

いじめられる側にも問題がある について思う事

'苛められる側にも問題がある' について、思うのを書きました。 私は正しいと考えます。 重要なのは、'原因' と '非' を分けて考えるべきです。 '原因' は苛められる側にあっても、'悪い' のではないのです。 なぜそう捉えるべきかというと、予防できるから。 苛められそうな '原因' をしってると、対策できます。 やばそうなのを事前に把握して、予防し、避けれた不幸を回避してほしいのです! 不幸を予防してほしいので、この記事を書きました。
ブログ

中学校で苛めの加害者になりました

私が中学生で人を苛めた経験を書きました。 2日の日程の職場体験で、1日目に高所に登るのがあったんですが、高所恐怖症で登れなかった子がいました。 其を苛めると、2日目、その子は勝手に早退しました。 関わった子達は中学校に怒られ、その子の家に謝りにいきました。 我々は不良じゃなかったから怒られたし、反省もしました。 でも根っからの不良なら、怒られても反省しないでしょうし、謝りもしないでしょうし、中学校もそんな良識が通じない奴の相手したくないでしょう。 結果、真に成敗されるべき巨悪が野放しになるんじゃないでしょうか? へたに良心がある方が成敗されるのも不公平かと。
ブログ

舐められたくないと思っていたら嫌われた

友達を失った経験を記述しました。 舐められたくない、苛められたくない。 その気持ちから、同級生にやたら喧嘩腰だった時期がありました。 そうしてると、いつしか私の周囲から人がいなくなりました。 一方で弱い素振をみせると苛められますが、一方で喧嘩腰だと人が離れていきます。 人間関係をうまく構築するには、出すぎず引きすぎず、絶妙な均衡が大切と悟りました。
ブログ

気の合わない恩人

今回は友達関係についてです。 私が中学校で苛められていた際、私に寄添ってくれた数少ない友達。 ですがその友達は私にとって性格があわない友達だったのです。 苛めが下火になるにつれ、その友達とは疎遠になりました。 恩しらずな行動だったかもしれません。 かといって、深く付合うと私がしんどくなる… どう接するべきだったのか、未だに不明です…
ブログ

中学校でいじめられました

私が通った中学校は、小説「岸和田少年愚連隊」を地でやる中学校でした。そこで私は入学すぐから苛められました。最初は揶揄われる程度でしたが、席替えを機に酷くなり、遂には暴行される迄になりました。親からも「学校に行くな」と、不登校が如く休んだりもしました。
タイトルとURLをコピーしました