中学校でいじめられました

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中学校でいじめられました

 

私が苛められた経験を語るシリーズ。

 

今回は中学の時にうけた苛めを述べます。

 

 

私が通った中学について

 

私が通った中学は、地元では有名な悪い中学です。

 

只でさえ私の地元は、’柄が悪い’ ので有名です。

 

その ‘柄が悪い’ 地域にして、「あそこは悪い」と噂される中学です。

 

私が通ってた小学校でも中学の噂は何かとたって、

「あそこは悪い」「あそこは悪い」って、ずっと評判でした。

 

そういう噂もあってか、学年の実に約半分が中学受験しました!

 

個々の児童では中学受験の細かい理由は違うでしょうし、

「あそこの中学に通う位なら私立に中学受験した方がましだ!」みたいな、区々たる動機ではない動機で中学受験した児童もいるでしょうから、普遍化は宜しくございませんが、

「なぜ中学受験するのか?」と質問した時に返ってきた答が「あの中学には通いたくないから!」だったので、大きな要因になってたのは間違いございません。

 

受験迄して児童がにげたがる中学校だったのです。

 

では小学校の児童をして、「あの中学にいく位なら私学受験する!!」と追込ましむる中学校とは、どんな中学校なのか!?

 

ざっくりいえば ‘不良’ というか、’ヤンキー’ というか、が跋扈してる中学です。

 

一部といえば一部ですが、

変形に短ラン、

授業は抜けてなんぼ、

公然と喫煙、

先生と喧嘩、

鑑別所や少年院にいく子も、

等々…

 

窓も硝子じゃなくてプラスチックでしたしね!

 

硝子が割られすぎたせいか、

割られるのを見越しての処置かは存じませんが…

 

因みに「変形」とは、「変形学生服」の事ですが、

我々の業界では、袴みたいなズボンをさしてます。

 

 

一般的には「ボンタン」という名前でよばれてるんですかね!?

 

ま、そういう中学です。

 

読んではいないので詳細は不明ですが、小説「岸和田少年愚連隊」の世界観そのままの中学じゃないでしょうか!?

 

今から考えれば、そりゃ全うな人間ならビビるのはご尤もですが、

当時の私にはそんな危機感すらございませんでした…

 

 

入学直後の失敗

 

中学校には、4つの小学校の子達が集まってきていました。

 

私が通ってた小学校は、4つの内で最も人数が少なかったです。

 

何せ全校児童の半分が中学受験しましたからね(笑)

 

そういう状況ですので、周りは知らない子だらけです。

 

只でさえ環境が激変し、然も誰が不良かも分らない中で、急に大きな不安に襲われました。

 

私は机に突伏して頭を抱える姿勢をとる様になりました。

 

周りの生徒達が恐かったからです。

 

然しこの姿勢は逆効果になりました。

 

きっと周りの生徒には ‘入学当初からビビりのおかしな奴’ との印象をもたれてしまったのでしょう…

 

更に私の行為で反省すべき行為があります。

 

其は「無視」です。

 

私の席の隣の生徒達が、まじめではなさそうな生徒だったので、

話掛けられるのは何度かありましたが無視していました。

 

よくいうじゃないですか!

「やばい奴は無視しろ!」って!

 

あれです!

 

問題だったのは、’本当に無視’ した点!

 

適当にでも相手しときゃよかったのですが、

何せ ‘堂々と’ 無視しましたから、返って目立ってしまいました。

 

然も無視された側としては「何で無視されなきゃいけないんだ!」となりますから、

その点でも余計に手を出したくなりますわな!

 

 

苛めの始まり

 

私は幼い時から電車が好きでした。

 

幼稚園の頃は電車が「大好き」「大好き」っていいまくってました。

 

幼稚園が一緒だったが小学校で離れてしまった子達の多くと中学校で再会しました。

 

その子達は私の電車好きを覚えています。

 

なので「電車好きだったよね!」「電車好きだったよね!」といわれまくりました。

 

それに目をつけたHという子によって、私は「電車君」とあだ名をつけられました。

 

そこから何かにつけてHから「電車君」「電車君」とからかわれだしました。

 

私はそのからかいを、机に突伏してずっと無視し続けました。

 

小学校以来、人をおちょくる奴は無視しろと教わってきたからです。

 

結果は逆効果になりました。

 

机に突伏しての無視ですから、相手からすれば頭のおかしい、ひ弱そうな子にしか映らなかったでしょう…

 

からかう程度だったのがどんどん酷くなっていきました…

 

私が無視してた隣の席の生徒達も、無視されたのが癪に触ったのでしょう…

からかいに加わりだしました。

 

こんな感じで苛めが始まりました。

 

 

便所に閉込られた

 

後で申す、暴力沙汰と、時系列がどっちが先だったかは忘れましたが、

不良達に便所に閉込られた被害があります。

 

急な学年集会があって、体育館に移動する運びとなりました。

 

私は、体育館へ移動する群よりも少し遅れたんですね。

 

やや遅れつつも私はKという友達と、体育館へ行こうとしてると、別の組のIに「ちょっときて!」と呼び止められました。

 

このIという奴が曲者で、他の子達には当りがいいのですが、なぜか私に対してはいびってくるのです。

 

この時もKに対しては「お前は行っていいよ」といい、私だけを標的としました。

 

なので周囲の人気をよそに、私はIを憎んでます。

 

まあそれはそれとして、

私はIについて行きました。

 

Iは私に便所に入る様にし、私は便所に入りました。

 

そしたらIは便所の入口に立塞がり、箒をもって通せんぼするんです。

 

私は懇願するが如く出してくれと何度もお願いしましたが、

I曰く「犯罪者だから」といって私を監禁し続けました。

 

Iの友達で、同じく不良のOが「先生にいわないで」というので、「分った。いわないから」ともいいましたが、

それでもIは私を監禁し続けました。

 

Iと一緒にいた他の不良は便所を出たり入ったり好き放題でしたが、

私は監禁され続けました。

 

「このまま学年集会が終るのではないか!?」

「学年集会にいなかったとなれば、どんな罰が私を待っているんだろなあ!?」

監禁されてる恐怖に加え、これらの理由により、私は凄まじい恐怖でした。

 

幸運にも、そんなに間をおかず、先生がきてくれました。

 

不良達も先生に特に抵抗せず、素直に私を解放しました。

 

確かめなかったのですが、恐らくKが先生にいってくれたのかなあと推測しています。

 

偶々巡回してたのかもしれませんが、

にしてはタイミングよすぎるので!

 

 

暴力沙汰へ

 

月が変って5月、席替がありました。

 

この席替が決定的でした!

 

私は、からかいの中核のHとKに挟まれる形の席になりました。

 

そっからの毎日は地獄でしたね…

 

何かにつけておちょくられるのは当り前!

 

私には変な癖があって、

筆箱の中に全てを入れたがるのです。

 

‘全て’ というのは、筆記用具だけじゃなくって、

例えばカッターとか、糊とか、テープとか…

 

そんな癖があるので、筆箱にビニルテープを入れてたのですが、

「ビニルテープ貸して」っていわれたから貸したんですよ。

 

そしたら潤沢にあったビニルテープが殆どなくなって返ってきました。

 

しかも何に使われたかといえば、

忘れましたが多分しょうもない事だったと思います。

 

中学校で嫌がらせをうけているのは前々から親には相談していました。

 

席替してから苛めが酷くなったので、何とかならないかと親に相談しました。

 

親が学校に相談してくれた結果、月の途中ではありましたが、私だけ席替してくれる事になりました。

 

まさかこの席替があんなんになろうとは…

 

席替であるからには、私1人だけの席を動かせはしません。

 

私の席が移動すれば、当然その移動先の子もいる訳で、

普通は私とその子の席が入替りになります。

 

その時も普通通りの運びとなり、私はとある子と席が入替になりました。

 

その、私と席が入替った子が問題児だったのです。

 

そいつを仮にYとします。

 

Yは入学当初から不良全開で、入学式直後から

変形は履くわ

授業は抜けるわ

好き放題やってました。

 

担任としても、「どうせ注意しても授業を抜けっ放しのYなら席替し易いだろう」と思ったのでしょう。

 

Yは不良全開でしょっちゅう授業を抜けていましたが、

それでも時たま、授業に戻ってきたりもしてました。

 

そうすると、気づくのは遅れますが、なぜか私と席替…というか入替ってるのに気づきます。

 

最初は問題なかったんですよ!

 

だって入替前の席で僕を挟討ちにして私を苛めてたHもSも、Yとは仲よしでしたから!

 

仲よし同士がくっついたんだから、それだけなら何も起きなかったんです。

 

でも、1匹でさえ問題児です。

 

3人よれば ‘悪魔の集合’ です!

 

時々Yが授業に戻ってくると、HやSと騒ぐんですね!

 

3人でドンチャカされたら、そろ先生だって怒ります。

 

ある数学の授業中ですが、その授業でも偶々ぷらっとYが戻ってきました。

 

そしてHやSと3人で楽しく談笑するんですよ!

(授業中であるにも関わらず!)

 

それで先生が怒ったんですね!

 

そしたらYが逆ギレし始めてですね…

 

細かい経緯は忘れましたが、

Yの中で「そもそも何で俺が席替させられたんだ!?」という疑念が起こったらしく、

「あいつ(=私)のせいだ!!」てなって、

やがて怒りの矛先が私に向きました。

 

そっからは私にとってそれまで経験した事のない ‘恐怖の時間’ でした…

 

Yは教室を出たり入ったりしながら、

大声で私の名前を叫んで壁を蹴ったり、

私の席にきて私の胸ぐらを掴んだりしてきました。

 

丸でやくざの恫喝です!

 

「このままでは授業が終れば大変な事になる!」

 

そう考えた私は、授業が終り次第、先生に相談するのを即決しました。

 

運よく。授業が終ってすぐ、先生の方から「ちょっと来い」といわれました。

 

先生に連れられて廊下に出た途端、背後からYが殴り掛ってきました。

 

幸い、すぐに(誰がかを把握してる余裕はありませんでしたが)引剥してくれたので、ケガらしいケガは負わなかったです。

 

まもなく担任が駆付てくれて、Yを私から離れた位置まで連れていき、

暫く担任とYとの話合いとなりました。

 

その話合いで何が話されたのかは分りません。

 

その間の私といえば、

廊下で待機…

 

この待機が結構辱めでした。

 

というのも、ケガこそなかったものの、急に殴られた恐怖やら衝撃やらでべそかいてましたし、

他の不良どもは、殴りこそしませんでしたが、小馬鹿にした笑みをうかべて私を見てくるし…

 

休憩時間だったのもあり、多くの生徒の注目を集めてしまいました。

 

晒し者ですよね!

 

恥ずかしいやら、屈辱やら、パニックやら…

 

凄く複雑な感情でした。

 

そうこうしてる内に話合いも終るし休憩時間も終ります。

 

次の授業も始まりますので、兎に角教室には戻らねばなりません。

 

教室に戻ると、私の机がひっくり返ってて、中の物が散乱してました。

 

想像するに、多分Yがやったのかと…

 

 

家で暴れて人生ゲームを壊した

 

上記は4月~5月中旬までの、中学校での私の様子を書いています。

 

中学校での様子は述べましたが、家ではどんな様子だったのでしょうか?

 

ざっくりいえば、「家に帰って毎日泣いてた」ですね。

 

中学校で苛められてるのは、早くから親に相談してました。

 

最初は相談を躊躇いました。

 

大事にするとこっちも精神的にしんどいですしね!

 

然し苛めが酷くなるにつれ、そうもいってられなくなり、

終いには平日は毎日、中学校でどんな目にあったか相談する始末。

 

相談して発散すれば多少は気が楽になります。

 

学校帰りの時間、父親は仕事でいなかったので、相談にのってくれたのは専ら専業主婦だった母。

 

今から思えば、家事しながらよく聞いてくれたなと思います!

 

有難いですね!

 

相談して気分が晴れればそれでいいのですが、

日に日に苛めは悪化していましたし、それをちょっとやそっとの相談ではデトックスできません。

 

ある休日、直接の切掛が何だったのかは忘れましたが、

それ迄の「恐怖」や「惨め」等に加えて、急に「怒り」という感情が芽生えました。

 

…だけならよかったのですが、「何で私がこんなめにあわなきゃいけないんだ!!」という感情が急激に膨らみまして、

プッツンきた私は自分の部屋の物に当りました。

 

色んな物をぶん投げたり殴り飛ばしたり蹴飛ばしたり…

 

物音を聞付けたのか、親が部屋に入ってきたので、その日はそれ以上、部屋で暴れませんでした。

 

ですが、又何日か経って、休日、自分の部屋ですごしてると、再び怒りが急激に湧いてきました。

 

そして又、部屋で暴れて、人生ゲームを破壊しました。

 

この人生ゲームは、小学校の時、クリスマスに ‘サンタさん’ から貰った贈り物で、

家族で遊んだり、友達の家に持ってって遊んだりしていました。

 

然し小学校も卒業が近くなるにつれ、段々と使用頻度が減っていました。

 

中1当時は「不用品とするには勿体ないけどなあ…」といった感じでした。

 

そういう風だったので、私の怒りの矛先を向けられたのです。

 

ステージを破いて、札も破いて、札をばらまいて…

 

怒りに任せて破壊してると、いきなり母が部屋に入ってきて私を抱締めました。

 

これは親にとっても辛かったでしょう!

 

自分の子供が部屋で破壊行為する位追詰められて、

しかも ‘サンタさん’ の贈り物を滅茶滅茶に壊したんですから!

 

今から思うと、不用になりかけてたとはいえ、軽々しく人生ゲームを破壊したのは本当に申し訳なく思います。

 

 

授業参観

 

暴力沙汰の後、私を始め関係者だけの席替がありました。

 

まあ暴力沙汰があったので致し方ございませんが…

 

その席替で、私は5月初頭に座ってた列の1番後ろに移動しました。

 

5月の、多分下旬だったと思いますが、授業参観がありました。

 

私の席が最後列だったのもあり、

参観中ずっと母は私のすぐ後ろにいました。

 

私としては、母の行動が苛める側をへたに刺激しないか心配でした。

 

「お前、親にチクっただろ!」って、より大きな仕返しがくるのを恐れました。

 

現に私を苛めてた奴らが私達の様子をちらちら見てはひそひそ話してましたし。

 

ですが結論、恐れていた巨大な仕返しはありませんでした。

 

結果的には母も目論見通り、私を守るのに成功したのかな!?

 

兎に角母には感謝ですね!

 

 

不登校

 

暴力沙汰にまで発展したし、

破壊行為に走るし…

 

そういった状況を鑑みた親から、

「学校を休め」

と提案されました。

 

私としては病気でもないのに休むのは抵抗がありました。

 

内申点か気掛りでね…

 

うちの中学校は、内申点は中3の1年だけなので、中1から内申点を気にしても意味ないといえば意味ないのですが、

内申点が不登校の事情まで配慮してくれるとは思えませんでした。

 

なので不登校になりたくなかったのですが、

親と話合い、1日だけ休みました。

 

休みましたが、別に病気とかではなあので、

正直やる事がなくて1日暇です。

 

暇潰しに図書館へ行きました。

 

地元の図書館は、隣が幼稚園です。

 

故に平日は、図書館、特に窓際にいると、よく子供達の声が聞こえてきます。

 

切なかったですね…

 

「この子達はちゃんと学校に行けてんだ…」

「楽しく学校に行けてんだ…」

と…

 

涙がでてきましたね…

 

「学校に行くのがしんどい」って理由で休んだのはその1日だけでした。

 

故に、形式は単に ‘欠席’ であって、

例えば文科省が謳う ‘不登校’ ではないですね。

(因みに、文科省が、調査の際等に使う不登校の指標の1つに、年30日以上の欠席、があるそうです)

 

端からみれば ‘不登校’ でも何でもなく、単に休んだだけでしょう。

 

ですが私の主観としては、’健全ではない’ 休み方をした故に、不登校に似た辛さを味わったのは間違いございません。

 

因みに中学校は休みましたが、塾には行きました(苦笑)

 

塾には同じ中学に通う生徒が沢山いるので、当然「なぜ中学校を休んだのか?質問されます。

 

「朝はしんどかった。

日中以降体調が回復した」

 

そんな回答した筈です。

 

苦紛れの回答でしたが、これ以上追究されなかったのが幸いでした。

 

 

その後

 

入学当初から始まり、5月に暴力沙汰にまで発展した苛めですが、

6月以降は急激にマシになりました。

 

勿論6月以降も細かい嫌がらせは幾らでもありましたし、

2年や3年になっても細かい嫌がらせはありました。

 

新しい奴に目をつけられたと思ったのも1度や2度じゃないですし、

「これが切掛で新たな苛めが始まるのか!?」「中1の1学期の再来か!?」と恐れたのも、上級生になっても何度かありましたが、奇跡的に大問題には発展しませんでした。

 

なぜ急激に復活できたのかは、幾つか思当る節がごさいますので、

次以降に述べたく存じます。

 

 

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