いじめから早期解決しました

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いじめから早期解決しました

 

前回、私が中学校で苛められた経験を述べました。

 

暴力沙汰に発展する位に酷い苛めでしたが、

誰の目から見ても分る位に酷かったのは、中1の5月迄です。

 

6月以降は急激にましになりました。

 

ある見方をすれば、2ヶ月で終ったともいえます。

 

2年になっても3年になってもひやっとしたのは幾らでもございますし、

1年の時には関わりがなかった奴に目をつけられたかと焦ったのも1回2回やございません。

 

ですがそれらから大きな苛めに発展はせず、大局的にはましだったと存じています。

 

なぜ早期に回復できたのか?

なぜ爾後は比較的ましだったのか?

 

思い当る節を述べたいです。

 

 

相談しまくった

 

中学校で苛められてるのは早い段階から相談してました。

 

親、先生、部活の先輩…

 

力を行使してくれる立場にない人達にも、デトックスをかねて相談してました。

 

私が相談しただけでなく、

私が中学校で授業を受けてる間、親も教育相談室や教育委員会に相談しに行ってくれてました。

 

頻繁に色んな機関に相談に行ってくれました。

 

これらの機関が苛め対策にどれ位具体的に動いてくれたかは、私は把握していません。

 

ですが、親が足繁く色んな機関に通ってもらったのは本当に有難かったですね!

 

相談するのは非常に勇気がいります。

 

周りに迷惑かけたくないってのもありますし、

下手に動いて余計に悪化したらどうしよう!? っていう不安も大きいでしょう。

 

ですが、己で対処できる力をお持ちなら抑も苛められていません!

 

そこまで強くないからこそ苛めの標的になるのであって、

であれば他人の力を借りざるをえないのです。

 

そして、苛めというのは一般に、強い者から弱い者、多数派から少数派に加えられますので、

被害者が1人ぼっちであればある程、加害者にとってはより苛め易くなります。

 

逆に相談できる見方が多いとなると、加害者からすれば余計な敵を生む危険性や、予想外に不利な立場に追いやられる可能性を排除しきれなくなり、

そこ迄して苛める利点に乏しくなります。

 

加害者はそういうのには意識•無意識を問わず非常に敏感ですからね!

 

「1人ぼっちじゃない!」ってのが大切なのです!

 

但し、相談も利点ばかりではございません。

 

注意しなければならぬ点もあります。

 

「相手は慎重に選ばなければならない」

という点です。

 

私の実例、

同級生、特に同じ学級の生徒には絶対に相談しませんでした!

 

まあ、皆知ってはいたとは存じます。

 

公衆の面前で殴られましたから!

 

「何かあるのか?」と質問うけたりもしました。

 

既に周知になってたにも関わらず、「何もない」で通しました。

 

人間関係は複雑怪奇ですから、

仮に私を気遣ってくれたとしても、加害者とも仲いい、というのもあります。

 

悪気なくチクってしまったりするやもしれません。

 

或いはもっとタチ悪く、

「やめたれよ!」って言ってくれたせいで、返って加害者が「お前あいつにチクっただろ!」って逆ギレしてくるやもしれません…

 

故に私は、バレてしまったのは仕方ないとして、それを超える相談は同級生には絶対しませんでした。

 

一般的には、誰に相談すべきか、誰に相談すべきでないかの判別は非常に難しいでしょう。

 

殊私は運よく、

結果だけを鑑みればその判断は間違ってなかったでしょう。

 

 

先輩が味方してくれた

 

これは1回だけでしたが、部活の先輩が見回りに来てくれました。

 

といっても、教室の中へは入ってこず、

あくまで教室近くの廊下までですが。

 

それでも私には非常に有難かったです!

 

たった1回だけでしたが、加害者に全く圧がなかったとも思えません。

 

「こいつには見方がいる!」って思わせるのが重要ですから!

 

 

席は1番前列

 

これは1年生の間だけでしたが、

6月以降、席は最前列にしました。

 

毎月1回、席替がありまして、基本はランダムなのですが、

目の悪い人は最前列の黒板の見易い席を選べました。

 

この制度は一般の教室だけで、

家庭科室や音楽室といった特別教室にはございませんでした。

 

抑も家庭科室や音楽室に ‘席替’ 自体がなく、

名前の順で1年中席は固定でしたが。

 

ですが一般の教室では使えるその制度を利用し、私は1年生の間、最前列で授業をうけてました。

 

最前列という、先生に最も近い席ならば加害者も手は出し難いでしょうし、

少なくとも ‘挟打ち’ にあって前から嫌がらせなんて物理的に不可ですから、

ランダムに席替するより安全性は格段に向上します。

 

本当は目なんか悪くないんですよ!

 

眼鏡もコンタクトもしてませんでしたからね!

 

だけど中学校も口裏を合わせてくれましたし、

抑も前列の席に座りたい生徒なんていませんから、文句いう生徒もいませんでしたしね!

 

質問はされましたよ!

「目が悪いのか?」って!

 

「視力はいいが後列だとどうしても見難いんだ」とかとか、意味不明な言い訳してました(苦笑)

 

殴られたのは学級の誰もが知ってましたし、これ以上突込むのはよくないと感じたのか、

幸いにも深追いされた質問はうけませんでした。

 

 

先生から離れない

 

これも1年生の間だけでしたが、

先生から極力離れない様にしてました。

 

授業中は最前列で聞くのは前章で申しましたが、他にも

  • 休憩時間は職員室前ですごす
  • 休憩時間が終って授業が始まる時は、その授業を担当する先生と一緒に教室へ向かう
  • 授業が終ったら、先生と一緒に職員室前へ行く

をしてました。

 

先生とべったりすごして、苛める隙を作りませんでした。

 

これだと加害者も手を出し難いですよね!

 

先生が見てる前で堂々と苛めれる度胸のある奴はそういませんから!

 

 

学級にも味方はいた

 

少数ではありましたが、学級にも味方はいました。

 

Kです。

 

なせかは未だ不明ですが、Kは当初から私に良く接してくれました。

 

休憩時間も私と職員室前ですごしてくれましたし、

弁当も一緒に食べてくれましたし、

教室の移動の際にも共に移動してくれました!

 

前章の ‘先生から離れない’ 作戦も、Kの助力あってだと存じます!

 

幾ら職員室前とはいえ、私1人ぼっちだと不良に絡まれる危険性はありますから。

 

学級には敵か、敵じゃないにしても味方とするには信用ならん奴らが多数の中で、

私に寄添ってくれたKの存在は本当に助かりました!

 

 

加害者側に味方がいた

 

意外にも、加害者側の全員が全員、敵ばかりではありませんでした。

 

 

なぜか途中から守ってくれた

 

最も苛めに苦しんでた際、私を苛めてたのはH,S1,Y,S2,Kの5人です。

 

この内、S2とKが、なぜか暴力沙汰以降、url私の味方してくれだしたのです。

 

全てで守ってくれた訳でありませんが、

それ以前の態度とは比べ物にならない位の変容ぶりです。

 

峰不二子曰くの「時には味方、時には敵」を地でやる人達でした。

 

理由は不明です。

 

ある種の母性が働いたのか、

単純に加害者でいるとまずいと思ったのか…

 

ですが、暴力沙汰以降、例えばHやSが私をおちょくったりしても、SやKが守ってくれる場面もでてきました。

 

特にKは明確に「苛めたらだめだよ!」とか、「やめなさい!」とか言ってくれました。

 

いかんせん ‘敵陣営’ でしたので、信頼とかはなかったのですが、

常に敵だったHとかと比べると、やはりある種の情はございました。

 

 

不良の先輩と仲よかった

 

私を苛めてたH,S1,Y,S2,Kは不良集団、及びその取巻に属してました。

 

その内の1人のYから暴行をうけたのもあり、不良集団の多くから舐められてたのは間違いないでしょう。

 

じゃあ集団の全員が全員と敵対してたかというと、実はそうでもありません。

 

極一部ですが、仲のいい人もいました。

 

例えばM先輩。

 

M先輩とは小学校からの旧知で、私の2つ上。

 

私の母校の小学校は1学年1学級だったので、学年を跨いで遊んだりも日常でした。

 

故に上下での仲の良し悪しもあり、

その中でもM先輩とは仲がよかったです。

 

M先輩、小学校の頃から髪の毛を茶髪に染めたり、昼頃に学校に行ったり、お世辞にも ‘まじめ’ とはいえませんでしたが、

優しくて人当りがよく、挨拶もきちっとできる方でした。

 

うちの母が「Mは笑顔で「お早うございまーす!」って挨拶するけど、11時だから ‘お早うございます’ じゃないんだよねー(笑)」と笑っていました(笑)

 

中学校に入学して不良集団に属し、煙草を吸って変形を履きだしても、

明るい性格は変わらなかったです。

 

中学校でも私に朗らかに接してくれました。

 

‘不良’ だからといって、必ずしも根性まで腐ってるとは限らない好例ですね!

 

そんなM先輩が不良集団にいたのです。

 

しかも私より2こ上!

 

私が中1当時、M先輩は中3です!

 

その不良集団の番長格の1人です!

 

M先輩は、直接私を助けてくれたりはしませんでした。

 

故に無関係といえば無関係です。

 

でも下級生の不良が全く意識しなかったかというと、それも難しいんじゃないでしょうか!?

 

やっぱりある程度M先輩に隠れて苛めざるをえないんじゃないでしょうか!?

 

万一M先輩から「やめろ!」といわれたら、下級生の不良がそれに逆らえないでしょうから!

 

確かに影響としては微々たるものでしょう。

 

しかし

 

実際、Oという奴からの嫌がらせが上級生になってから増えましたが、

M先輩が中学校を卒業し、現役の不良集団の中で私に近しい人がいなくなったのが、全く関係しなかったかは怪しいものです。

 

運がよかっただけといえばそうでしょうが、

KやS2にしろ、M先輩にしろ、’敵側’ に味方になってくれる人がいると、一気にこちらに有利になると経験できました。

 

 

学級を離してもらった

 

1年生で散々私を苦しめた連中ですが、

然し2年生以降、一部の奴らとは学級を離れられました!

 

これには裏があり、我々から中学校側に、「あいつとあいつとあいつとは学級を離してくれ!」と要求したのです!

 

2年生に進級する際、「H,S1,Yと学級を離してほしい」と要求しました。

 

KとS2については要求しませんでした。

 

味方になってくれたりした経緯もあり、学級を離さないといけない脅威とは判断しませんでした。

 

同じ要求は3年生に進級する際にもしました。

 

故にH,S1,Yとは爾後2度と同じ学級になりませんでした。

 

ヒヤリハットが何回もあったのは再三申していますが、

それでもやはりHやS1と離れたのによって、その後の中学校生活は、暴力沙汰を鑑みれば驚く程平和でした!

 

問題があるなら、その元凶から離れるのが手っ取り早い解決ですね!

 

「学級を離してもらう」という案を聞くと、「そんなのできんのかな!?」と思いました。

 

一般的には ‘身勝手’ となる要求が通ると思えなかったのです。

 

所がいざ求めてみると、案外あっさり受入れられました。

 

只の身勝手ではなく、苛めをさけるのにやむを得ない処置ではありましたし、

中学校としても「これ以上事態が深刻化してより大きな問題に発展するより、最低限離すべき奴らから離した方がいい」と判断したのでしょう…

 

それに、「あいつも、あいつも、あいつも、あいつも…」と、人数が多ければ中学校も対処しようがないですが、「最低限こいつらだけは…!」という面々に絞って要求しました。

 

弁えた要求、

無茶ぶりでない要求

だったから、中学校としても受入れ易かったのでしょう。

 

勿論それは生徒には決して公開できませんでしたがね!

 

因みに、暴力沙汰以前に私を苛めてた ‘5人衆’ の内、S2とは中学校3年間を通して同じ学級でした。

 

上級生になってからはS2は私の敵には回りませんでしたが、

私とH,Y,S1とを離そうとすると、S2を私にくっつけざるをえなかったのかもしれませんね…

 

まあ兎に角要求はしてみるもんです。

 

「こんなのお願いしていいのかな…!?」

て思われるでしょうし、認めてくれない可能性もありますし、色々な側面で要求を躊躇うかもしれませんが、

事情如何によっては案外あっさりと通るかもしれませんよ!!

 

 

独力では厳しい

 

如何でしたか?

 

あれだけ酷い状況から早期に回復できるのには、やはり相応の理由があります。url

 

努力と運が幾つか重なってーの結果です。

 

大きかったのは、

  • 沢山の人を味方にできた
  • 根回しがうまくいった

のでしょう。

 

当時はそこまで意識してる余裕はありませんでしたが…

 

振返って思うのは、

苛められる位に弱い存在である以上、己1人の力では限界があるのです。

 

それは自覚した方がいいと、改めて強く認識しました。

 

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