人権の制約原理

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人権の制約原理

 

日本国憲法は数々の人権を保障しています。

 

1人1人にとても優しい憲法ですね。

 

然し、幾ら人権が保障されてるからといって、何でもかんでも個人のやりたい放題、とはいきません。

 

人権同士が衝突するからです。

 

例えば、煙草を吸う権利を人権とすると、嫌煙権が害されますし、

高層ビルを建てる自由を人権とすると、日照権が害されてしまいます。

 

そこで人権には、「他人の人権を侵害しない程度」という、一定の制約があります。

 

これを人権の内在的制約といいます。

 

今回は人権の制約について書いていきます。

 

 

公共の福祉

 

他人の人権を侵害しない程度に人権が制約を受けるのを「公共の福祉」といいます。

 

この「公共の福祉」ですが、大きく2つに分かれます。

 

1.自由国家的公共の福祉

2.社会国家的公共の福祉

です。

 

自由国家的公共の福祉は「消極目的規制」、

社会国家的公共の福祉は「積極目的規制」

ともよばれています。

 

自由国家的公共の福祉は、害悪発生防止が目的です。

 

道路の速度制限なんかがそうです。

 

事故という、害悪の発生を防止します。

 

対して、社会国家的公共の福祉は、価値の創造が目的です。

 

もっというと、多くの場合、社会国家的公共の福祉は、弱者保護に働きます。

 

例えば大規模小売店舗法。

 

零細の商店を守る為に大型ショッピングセンターの出店を規制するもの。

 

こうやって社会全体の調和を図ろうとするのが社会国家的公共の福祉です。

 

 

規制の違憲審査

 

積極目的規制、消極目的規制…

これらの規制が合憲か違憲か判断するのが裁判所です。

 

どうやって判断するのかの基準となる考え方が2つあります。

 

  • 比較考慮論
  • 2重の基準論

 

 

比較考量論

 

制限によって失われる利益と得られる利益の大小を比べます。

 

失われる利益が大きければ違憲、

得られる利益が大きければ合憲

です。

 

バランスを比べるんですね。

 

比較考量論の欠点ですが、

毎回毎回バランスを比べるので、基準が不明確です。

 

特に、数値化できない価値は比較し難いですよね。

 

例えば、自然を開発すればどんな経済効果があるかはある程度計算できます。

 

然し、美しい自然が失われる事による、特に精神的な損害はなかなか計算できないですよね。

 

そこが1つ難点です。

 

もう1つの欠点として、少数派の利益が蔑ろになってしまいます。

 

憲法は、民主主義でもいじれない部分を設定しています。

 

民主主義っていうのは、結局の所、多数派ですから、

憲法というのは、多数決によって虐められる少数者を守るという側面があります。

 

ですが、比較考量してしまうと、結局は利益の大小で決まるので、多数者に有利に働いてしまいます。

 

これでは憲法の出る幕がありません。

 

というので、比較考量論は通説ではないのです。

 

 

2重の基準論

 

裁判所が各種規制の合憲違憲を判断する際、

精神的自由の規制は厳しく審査します。

 

対して経済的自由の制約の審査は比較的緩いです。

 

この、精神的自由と経済的自由で異なる基準の審査を「2重の基準」といいます。

 

この2重の基準ですが、最近になっておかしいと言われる様になってきたみたいですが、

一昔前までは誰も逆らえない黄金の基準だったそうです。

 

ではなぜ2重の基準が妥当なのか?

 

まずは裁判所の能力論

 

精神的自由は往々にして権利と権利のぶつかり合いです。

 

甲さんの表現の自由と、乙さんの名誉権。

みたいに。

 

そうするとどっちが○で、どっちが×かという結論になり易いです。

 

裁判所というのは、詰る所、法に照らして○×を判定する機関なので、

裁判所の仕事になじむんですね。

 

一方、経済的自由は、往々にして弱者保護を伴います。

 

そしてそれは、単に○×というより、色んなやり方があります。

 

米の輸入を考えましょう。

 

米の輸入の規制として、

  • 1粒たりとも輸入しない
  • 総量として百万tまで輸入する
  • 1年目は30%、2年目は70%、3年目で100%の輸入を自由化する

等、様々なやり方があります。

 

単に○×というより、政策判断が重要です。

 

政策を作るのは裁判所じゃなくて、国会や行政ですよね。

 

裁判所は、余程おかしくない限り、経済的自由に対する制約には、国会や行政の判断を尊重します。

 

これが裁判所の能力論です。

 

能力というより得意分野ですね。

 

もう1つは

プロセスアプローチ•民主制の過程論です。

 

経済的自由が変な制約を受けていたら、選挙や民主制の過程によって修正できます。

 

気に入らない政策をやってる政権は、選挙で落とせばいいのです。

 

所が、精神的自由の制約では、選挙や民主制の過程での修正がし辛いです。

 

仮に、政府に批判的な言動をすれば規制を受けるとすると、

選挙や民主主義が機能しない恐れがあります。

 

民主主義で修正できないのなら、裁判所に頼らざるをえませんね!

 

だから裁判所が強く出るべきなのです。

 

民主主義で修正し易いか、民主主義では修正し辛く裁判所に頼るべきか、

が、民主制の過程論です。

 

 

終りに

 

如何でしたか?

 

今回は人権への制限と、それの合憲違憲の審査基準について書きました。

 

ざっくりいうなら、

民主主義に任せるべきか、

裁判所が強く出るべきか、

に、大きな違いがあります。

 

今回の内容は、人権の根本になりますので、ぜひ抑えて頂きたく!

 

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