憲法 思想・信条の自由

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憲法 思想・信条の自由

 

嘗て、仏国の偉大な哲学者、パスカルは、

「人間は考える葦である!」

といいました。

 

私は、この名言を「思考できるのこそが人間の長所である」と理解しています。

 

ものを考えれるって、人間にとって非常に重要なんです。

 

それが国家権力によって不当に侵害されたら、長い目でみれば人類にとって負なんです。

 

そこで日本国憲法でも、思想•良心の自由は19条で保障されています。

 

 

諸外国と歴史

 

思想良心の自由とは、書いてみれば「考える自由」ですよね。

 

こんなの字面をみれば分りますが、

これだけだとわざわざ章立てしなくていいので、

もう少し深掘りさせて下さい!

 

その前に、諸外国の状況について習ったのですが、

「諸外国ではみられない」のだそう…

 

「本当かよ!?」って思いますよね!?

 

だって思想弾圧してる国っていっぱいあるじゃないですか!

 

授業中に講師がはっきり仰ってましたが、

私としてはこれは信じてないです。

 

ですが、我が国にも「治安維持法」という法律が昔はありましてね…

 

‘治安維持’ という名称なので、チンピラとか、今風にいえば ‘半グレ’ みたいな人達を取締る法律かと思いきや、

実際には社会主義者や共産主義者を弾圧する法律です。

 

日本は日本で思想弾圧の生々しい歴史がありますし、

現代は兎も角、歴史的には黒なんですね。

 

 

内心説と信条説

 

思想•良心の自由は、一般に

「全ての精神的自由の源泉」

とされています。

 

では、日本国憲法はどこ迄を保障してるんでしょうか?

 

 

内心説

 

精神作用一般を保障してます。という説を「内心説」といいます。

 

思想信条の自由を広く解釈するので、

「広義説」ともよばれます。

 

講義では「判例•通説じゃない」と習いました。

 

只、何でか迄は習いませんでした。

 

何でなんでしょうね…

 

 

信条説

 

全ての精神一般を保障するのでなく、

「信仰に準ずるが如き世界観や人生観等の個人の人格形成に必要な内面的精神作用」

を保障する説です。

 

別の表現をすれば、

「各精神的自由と内的関連性を有する領域に限定して保障」

する説です。

 

判例•通説はこの説です。

 

講義では「全ての精神的自由の源だから」保障するんだそうです。

 

これらの説の違いは、判例を読めば分ります。

 

 

判例

 

 

謝罪広告訴訟

 

共産党の人が自民党の候補者を、「賄賂を貰ってる」と、名誉を毀損したそうです。

 

怒った自民党の候補者が訴えました。

 

裁判所は訴えを認め、共産党の人に謝罪広告命令しました。

 

具体的な中身としては、

新聞に謝罪広告を載せろ!と。

費用は共産党の人もちだ!と。

 

そしたら共産党の人が「無理やり謝らすなんて19条違反だ!」逆ギレしました。

 

そこで謝罪広告をさせるのが思想信条の自由に違反するかが争点になった訴訟になりました。

 

判例は、共産党の人の訴えは認めませんでした。

 

判旨としては

「単に事実の真相を告白し、陳謝の意を表する程度であれば、思想信条の自由に反しない」

のだそう。

 

些か小難しい書き方ですが、

要は「謝る位いいじゃないか!」と判示してます。

 

雑な判旨ですよね!

 

これ、信条説からだと、もっと綺麗に説明できます。

 

詰り、

「謝罪する程度なら ‘信仰に準ずるが如き世界観や人生観等の個人の人格形成に必要な内面的精神作用’ 迄は侵害していない」

と。

 

確かに性根から叩直されるなら、信条説に立っても19条違反の可能性は高くなります。

 

でも今回の判旨では、「根性から再教育だ!」とか迄は判示してないんです。

 

裏を返せば

謝罪広告さえだせばいいんです!

 

それ位であれば、

‘信仰に準ずるが如き個人の人格形成に必要な’ 精神作用までは侵してない

と解釈できますね。

 

判例は、はっきり「信条説に立ってます!」とは示しませんが、

一般的に「信条説に立ってるだろう」と解される所以が上記です。

 

 

麹町中学内申書訴訟

 

当時、中学生だったある生徒が、

簡単に書けば左翼だったんですね!

 

機関紙を発行したり、文化祭粉砕を叫んだり、

そういう活動を中学で行っていました。

 

そういう活動してるせいか、内申書に

「大学生ML派の集会に参加してる」

と書かれました。

 

Mはマルクス、

Lはレーニンの頭文字です。

 

2人共社会主義の世界では有名人です。

 

その後、高校受験で都立高校に落ちました。

 

そこでその生徒が都を訴えました。

 

判決は、生徒の負け!

 

判示は

「内申書の内容は生徒の思想信条そのものじゃない」

「だから内申書の内容では生徒の思想信条を領知しえない」

んだそう。

 

違憲じゃないのは覚えないと間違えるかもしれませんね!

 

だって内申書にML派とか書いたら、その生徒の思想信条は領知しえるじゃないですか!

 

学説の中にもそう唱える説はありますし、

当時の予備校の憲法の講師もそう思ってますし、

私もそう思ってますが、

判例は「ML派って書いた位じゃ思想信条は領知しえないよ!」っていって、合憲!という判示をしています。

 

理論的にも感覚的にもズレる所だと思いますので、

しっかり記憶して下さい。

 

それが政治的に正しいかどうかは憲法学の試験にはでませんから!

 

皆さんの政治的立場がどうであれ、

論理や感覚がどうであれ、

違憲判決じゃなかった。という知識が試験対策の上では大切なのです。

 

 

保障の範囲

 

思想信条の自由はどこまで及ぶのかというと、

原則は絶対的な保障です。

 

どんなグロい妄想しても、

どんなエロい妄想しても、

頭の中は完全に自由です。

 

だって、国家権力といえど、

個々人の妄想の中まで入っていけませんからね!

 

じゃあ憲法に書く必要あるのかというと、

あります!

 

いちいち書いておかないと、やはり国家権力が調子に乗る可能性があります。

 

ありがちなのが、

特定の思想を国家権力が強制してくる。

とか。

 

北朝鮮とか、今でもやってますよね。

 

日本であんなのやったら完全に違憲です。

 

特定の思想信条を持つ故に不利益を課すのもだめです。

 

共産主義者だから警察官になれない。とか…

 

実務上の必要性はおいといて、

単純に憲法論だけで書けば、公務につこうとする人への思想調査とかは違憲の可能性が高いんです。

 

どうしても国益上必要なら憲法改正すべきです!

 

 

沈黙の自由

 

これは簡単で、

思想信条を質問されても、答えたくなかったら答えなくていい自由です。

 

「何党を支持してますか?」とか、

「何新聞を読んでますか?」とか、

「こいつ、こんな考えしてるんだ!」が分る質問には、しかとしていいんですよ!

 

余計な事を明したが故に不利益を課されたらたまったもんじゃありませんからね!

 

 

終りに

 

如何でしたか?

 

以上が思想•信条の自由です。

 

そんなに深い論点もないし、

よく考えたら「そりゃそうでしょう!」てのもありますしね!

 

各種自由の中では楽な方だったんじゃないでしょうか?

 

 

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