「公務員になりたいんだ!」
大学時代に友にいっていました。
友からは、「政治家がよりむいているんじゃないの!?」と、よくいわれていました。
心当りはごさいました。
主張がきつかったり、
組織にむかなかったり(笑)
そういう自覚はありつつも、官僚を目指しました。
なぜそうしたのかをかきたいです。
予めかいておきますが、
あくまでもこちらの独断と偏見です!
而も、
「学生時代にそう考えていました!」
というのです。
偏っていたでしょうから、読んでいて不快になるかもしれませんし、
「現在でもそう考えてる!」というばかりでもございません。
あくまで昔話としてお読み下さい。
官僚をめざす読者さんの参考には…
…ならないかな~…
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政治家は◯◯を作る
政治家は、現在を作る
そう存じていました。
政治家は選挙で選ばれますよね。
そうすると、有権者の利害に左右されますよね。
その折の有権者の利害を政策に反映できるのはいいです。
ですが、より大局にたって政策を作れるかというと、
ややきついですよね!?
誓って、
「有権者は大局を鑑みない!」
といいたいのではありません。
ですが、己の利害がありますので、
「この政策であれば、こっちが損してあげよう!」
とはならないでしょう。
その折の有権者の利害が反映されますが、
大局からすると…
となってしまいました。
官僚は◯◯を作る
官僚は、歴史を作る。
そう考えていました。
官僚は試験でうかって、なりますよね。
選挙では選ばれませんよね。
困っている有権者の利害を、すぐに反映するのはむずいでしょう。
ですが、より大局にたって政策を作れると想像しました。
選挙って、是々非々というよりか、
その折の感情に左右されるんじゃないか?っていうのがままあって、
大学に入学するかしないかぐらいに、東日本大震災がありました。
福島第1原発の事故もありましたね。
その事故があって、世論は脱原発になりました。
東京で脱原発のデモがある!と、たびたび報道されました。
それ見て「?」となりましてね。
福島で作られた電気をがっつり消費していたじゃないですか!?
さんざん恩恵をうけといて、
事故があったら「脱原発!」っていうのは都合がよすぎないか!?と。
東電の対応の杜撰さは、そっちはそっちで責をおうべきです。
ですが、自らがうけていた恩恵を棚にして、東電や政府をせめていたのをみていると、
どうしても’衆愚政治’の印象がありましてね。
でも真に国を想うのであれば、
その折の情緒だけの政策になってしまうのはよくないんじゃないかと。
だからこそ、官僚であれば、そういうものの影響をうけ辛く、
より大局にたって、是々非々で政策を作れるんじゃないかとなったんです。
その折での情緒に左右されず、
国家百年を鑑みて政策を作れるんじゃないかとなったんです。
官僚は選挙では選ばれないだけ、民意が反映され辛いですが、
裏を返せば情緒に左右されず、国家百年を鑑みて政策を作れると判断しました。
情緒に左右された現在よりも、
是々非々に、国家百年の歴史を作りたかったのです。
だから官僚をめざしました。
独善
この考えは、独善ではありますよね!?
民意を軽くみているといわれれば、そうですから。
而も、そういう政策が、’正しい’ともいいきれません。
もしかしたら、よかれと、誤った舵にきってしまうかもしれません。
「民主制を軽くみているのか!?」と疑われないぐらいに留めるべきですね。
現実は?
官僚は、歴史を作る。
こちらは、私が想像していた官僚像です。
ていうか、もっというと、独断の理想像でした。
じゃあ現実はどうだったのでしょうか?
まずかかなければならないのは、
官僚として働いた経験がないので、「しりません」が正解ではあります。
国総も国般も、
どっちも2次でおちましたので…
現実には不明ですので、
あくまで「こうだったんじゃないか!?」っていう、仮説になります。
官僚には3つの種類がある
行政学を研究した村松岐夫教授は、
官僚を3つにわけました。
・国士
・調整
・吏員
国士
国士は、高度成長に沢山いたとされていまして。
「国を造っているのは政治家じゃなくて、俺ら官僚だ!」
って官僚です。
嘘か真かしりませんが、
「法律を作ってばかな国会議員を黙らせてやる!」
っていう気概が、あったとかなかったとか…
さっきかいた、「官僚は歴史を作る」は、
国士の発想ですよね。
調整
ですが自民党が55年体制でずっと政権を担っていました。
そうすると、選挙におちる心配が、
なくなってはいませんでしたが、とても減りました。
そうなってくると、選挙に注いでいた労力を、政策の勉強に注げるくなっていきました。
そうこうしていると、特定の政策については官僚をこえる政治家が現れだしました。
高度成長では官僚が政治家を制御できていましたが、
政治家が実態でも官僚を制御しだしました。
族議員っていたでしょ!?
我々の生徒時代では、道路族が著名でしたが。
そういう議員が、70年代ぐらいからでてきました。
そこででてきたのが調整官僚です。
議員のいった政策を作るべく、
根回しといった調整をしました。
官僚からしても、わがの省庁の利害を政策に反映してくれたし、
議員が働きかけてくれるから、予算にも有利だったんです。
そうしてもちつもたれつになっていきました。
吏員
もちつもたれつというときこえはいいですが、
癒着になったんですね。
やりすぎてお縄になった官僚もいましたし、
国民からとっても批判されました。
そこででてきたのが吏員官僚です。
政治家からの支持を忠実にやります。
よくいえば政治主導かもしれませんが、
「政治家のいう通りにやっときゃいいんでしょ!?」っていう、解釈によってはやる気をなくしたともいえます。
実態は?
幾度もかきますが、
実態の官僚がどうかはしりません。
ですが、みていると、
国士よりも、調整や吏員の素質を求められるのが沢山ある気がします。
安倍政権が長かったですし、
「忖度」というのをよくききましたよね。
忖度はよくないかもしれませんが、
議院内閣制であるからには、政治家は、上司といえば上司です。
上司である政治家の、
顔をたてるであったり、
気を害さないであったり、
そういう’家臣力’みたいなのはいったのかもしれません。
令和の現在、国士だけでは政治家とはうまくやっていけないでしょう。
ですが私には、そういう、政治家とうまくやっていく力ってのはなかったです。
人事院面接でそこまで見抜かれたかは不明ですが、
現在であれば、「そういうのでは官僚にはむかなかったんだな」と、納得できます。
忖度がどれだけあるかは不明ですが、
国士として歴史を作っていけるかというと、
必ずしもそうではない。というのが見立です。
しりませんけどね(苦笑)
