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いじめられる側にも問題がある について思う事

'苛められる側にも問題がある' について、思うのを書きました。私は正しいと考えます。重要なのは、'原因' と '非' を分けて考えるべきです。'原因' は苛められる側にあっても、'悪い' のではないのです。なぜそう捉えるべきかというと、予防できるから。苛められそうな '原因' をしってると、対策できます。やばそうなのを事前に把握して、予防し、避けれた不幸を回避してほしいのです!不幸を予防してほしいので、この記事を書きました。
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中学校で苛めの加害者になりました

私が中学生で人を苛めた経験を書きました。2日の日程の職場体験で、1日目に高所に登るのがあったんですが、高所恐怖症で登れなかった子がいました。其を苛めると、2日目、その子は勝手に早退しました。関わった子達は中学校に怒られ、その子の家に謝りにいきました。我々は不良じゃなかったから怒られたし、反省もしました。でも根っからの不良なら、怒られても反省しないでしょうし、謝りもしないでしょうし、中学校もそんな良識が通じない奴の相手したくないでしょう。結果、真に成敗されるべき巨悪が野放しになるんじゃないでしょうか?へたに良心がある方が成敗されるのも不公平かと。
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小学校でいじめの加害者になりました

小学生の頃、同級生の苛めた事がございます。先生がそいつらを判官贔屓するのが許せなかったのです。学級会が開かれ、先生が怒りましたが、私はその学級会で先生に公然と逆ギレしました。人を悪く言うんだったら、たとい先生から怒られたとしても堂々と主張すべきとの矜持があったからです。
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舐められたくないと思っていたら嫌われた

友達を失った経験を記述しました。舐められたくない、苛められたくない。その気持ちから、同級生にやたら喧嘩腰だった時期がありました。そうしてると、いつしか私の周囲から人がいなくなりました。一方で弱い素振をみせると苛められますが、一方で喧嘩腰だと人が離れていきます。人間関係をうまく構築するには、出すぎず引きすぎず、絶妙な均衡が大切と悟りました。
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気の合わない恩人

今回は友達関係についてです。私が中学校で苛められていた際、私に寄添ってくれた数少ない友達。ですがその友達は私にとって性格があわない友達だったのです。苛めが下火になるにつれ、その友達とは疎遠になりました。恩しらずな行動だったかもしれません。かといって、深く付合うと私がしんどくなる…どう接するべきだったのか、未だに不明です…
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いじめから早期解決しました

今回は、暴力沙汰になる位酷い苛めをうけたにも関わらず、復活できた背景を考察しています。親、学校、先生、先輩、…そういった人達が私の味方になってくれました。それに、そうした方々への根回しも、結果的にはうまくいったのでしょう。やはり1人で抱込まないのがとても重要だと再認識しました。
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中学校でいじめられました

私が通った中学校は、小説「岸和田少年愚連隊」を地でやる中学校でした。そこで私は入学すぐから苛められました。最初は揶揄われる程度でしたが、席替えを機に酷くなり、遂には暴行される迄になりました。親からも「学校に行くな」と、不登校が如く休んだりもしました。
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女子に泣かされるのは惨めです…

男子として、女子に苛められて泣かされるのは恥ずかしいです。
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自転車を蹴られたので母親連れて怒鳴り込んだった!!!

小学校の時に先輩に苛められて自転車を蹴られました。余りの恐怖で泣いて家に帰ったら母親がびっくりです! 事情を話すと母親が激怒して「怒鳴込みに行く!!!」と! 怒鳴込んだ結果、向こうの家族は謝罪してくれましたが、自転車を蹴った先輩本人は家の奥に逃げてその時は謝罪しませんでした。結局人を苛める奴は自分が不利になったら尻尾巻いて逃げるものですな!!!
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憲法 思想・信条の自由

思想・信条の自由とは、一言でいえば '考える自由' です。思想・信条の自由は、全ての精神的自由の源泉とされています。判例・通説は、憲法が保障する思想・信条の自由の範囲は、精神作用一般を保障する「内心説」ではなく、信仰に準ずるが如き世界観や人生観等の個人の人格形成に必要な内面的精神作用のみを保障する「信条説」が通説です。
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