いじめられてる子を助けるべきか

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いじめられてる子を助けるべきか

 

未だ絶えない苛め。

 

毎度、痛ましいです。

 

最近、聞かなくなりましたが、

「苛められてる子を助けるべきだ」論を昔、よく聞きました。

 

「見てるだけは苛めてるのと一緒」

とかね。

 

その論について、思いの丈を書きたいです。

 

 

私の経験

 

私も中学生で苛めにあいました。

 

同級生の誰が敵か不明な中、私によりそってくれた友がいました。

 

友は、休憩時間はずっと私の傍にいてくれたり、

昼の弁当を共に食べてくれたりしてくれました。

 

学級で友達が少なかった私には嬉しかったです。

 

じゃあ、その友が、私を苛めてた加害者に「やめてあげろ」と言ってくれたりしかたといえば、

そういうのはなかったです。

 

表向き、単につるんでただけで、

守ってくれる、とかではなかったです。

 

 

いてくれるだけで十分

 

「守ってあげろよ」と思う人もいるでしょうが、

私としては傍にいてくれただけで十分です。

 

守ってほしいとは思いませんでした。

 

こういうと友に大変失礼ですが、

その友、オタク気質で、

ガタイがいい、喧嘩が強い、とかもなかったです。

 

加害者と真面に戦って勝てる ‘力’ がなかったのです。

 

寧ろ、へたに私を庇えば、友が苛めの対象になりかねませんでした。

 

友も苛められそうな要素はいっぱいありましたからね。

 

もし私を庇ったが故に友が苛められようもんなら、

罪悪感で私がより辛くなっていたでしょう。

 

 

子供に助けさせる問題点

 

「苛められてる子がいたら助けてあげなさい!」

「見てみぬふりは苛めてるのと一緒」

 

美しくはありますし、

円満に解決するならいいと思います。

 

けど、現実には美しくはならないんじゃないでしょうか!?

 

 

被害者が増える

 

しつこいですが、

権力のない子供に苛めの解決を任せても、

その子が苛められる危険があります。

 

苛められないとすれば、

加害者より助ける子が強い。

 

助ける子が番長とか、

加害者が助ける子に頭が上らない特殊な関係があれば、

「やめてあげろ」は有効に機能します。

 

けど、実際には強い子が弱い子を苛めるのであって、

力のある子は大体、苛めに加担します。

 

加害者より強力で、しかも苛めに加担しない子なんて、私は知りません。

 

加害者に言う事を聞かせられる子で、「やめてあげろ」といって有効だったのは、

私は2例、見ました。

 

でも

幼稚園→小学校→中学校→高校→大学

の内、中学校の2例だけです。

 

やはり珍しいです。

 

よっぽどがないと、

助けた子も無事では済みません。

 

被害者からしても、

「私のせいで友が苛められた」

って罪悪感を抱え、更に辛くなるでしょう。

 

 

責任

 

第3者になってしまった子の立場で考えて下さい。

 

周りで苛めが起きたら、

「助けてあげなさい!」とか、

「傍観者は加害者と一緒だ!」とか

言われるんですよ。

 

人に言うだけで、己は助けないくせに!

 

まず「あんたが助けろや!」ってなりますよね!

 

加えて、苛めが己の周りで起きるかどうかなんて、

己で制御できません。

 

たまたま同じ学校だった。

たまたま同じ学級だった。

たまたま同じ部活動だった。

 

その ‘偶’ に、落ち度はあるんでしょうか?

 

一緒になって苛めたんならまだしも、

‘偶’ なだけの子供に救護義務を課すなんて…

 

偶の責任まで取らされるとなると、

安心して学校に通えないですし、

ビクビクし乍ら学校に通う子供が急増するんじゃないでしょうか!?

 

 

1番悪い

 

過去も書きましたが、1番悪いのは加害者ですからね!

 

「傍観者は加害者」議論だと、加害者が大量発生し、

誰が1番悪いのかが曖昧になってしまいます。

 

傍観者がどれだけいても、苛める人が0だったら苛めはないですし、

苛める人が百人も千人もいれば、傍観者の1人や2人の力ではどうしようもないです。

 

誰に対処しなければならないのかを間違えると、課題解決にはなりません。

 

 

罪と罰

 

犯した罪に比べて、罰が重いとなると、反省や抑止よりも、

「なぜ私はこのぐらいの罪でこんな重い罰なのか」って、不満や恨みになってしまいます。

 

やり場のない怒りが、被害者に向いてしまうやもしれません。

 

なんせ傍観者も加害者ですから、

傍観してるだけで加害者と一緒の罰になるぐらいなら、

「私も苛めに加担してやる!」ともなりえるでしょう。

 

傍観者でしかないのに加害者の罰になるのと、

加害者として加害者の罰になるのとでは、

傍観者でしかないのが、量刑では ‘損’ ですから!

 

傍観者を加害者に追込んでしまうのであれば本末転倒です。

 

そうならなくすべく、罪に合った罰を与えるべきです。

 

 

大人より子供が重責

 

一般社会では、

暴力や名誉毀損とか、ともなると、警察や検察の沙汰となってしまいます。

 

刑事ならずとも、不法行為は民事ですから、

弁護士が対応すべきです。

 

苛めは、刑事や民事の要素が多分に含まれますから、

本来は警察や検察や弁護士が、証拠を立証するとかして対処しなければならない。

筈なんです。

 

一般人は、110番するとかはあれど、

自らが解決に乗出したりはしません。

 

そんな権力ないですし。

 

弁護士がする行いも、

一般人がやると、非弁行為といって、弁護士法に触れるやもしれません。

 

警察だの、非弁行為だの、そんな大袈裟じゃなくとも、

一般社会で揉めたとして、介入するのは相応の権力がある人です。

 

力のない一般人が介入しても、解決になりません。

 

当事者と何らの関係がある一般人が介入するのもありますが、

介入者に相応の力や関係性がないと、

解決しないし、或は悪化するやもしれません。

 

比べて子供の苛めはどうでしょうか?

 

「苛められてる子がいたら助けてあげなさい!」

「見てみぬふりは苛めてるのと一緒」

 

美しくはありますが、

此だと警察や弁護士がやってもおかしくないのを、子供に押付けてしまいます。

 

大人の社会では一般人が負わなくていい責任を、

特殊な技能や権力のある人が対処する問題を、

子供の社会では、学校では、一般の子供に負わせるんでしょうか!?

 

大人でもできないのを

子供にさせるんですか!?

 

責任が重すぎません!?

 

 

川で溺れてる人を助けるべきか

 

私は、「あんたは助けにいくな! 消防に通報しろ!」って教育されました。

 

玄人でもない人が助けにいっても、助けられないし、己が溺れる危険もある。

と。

 

この議論、苛めにも当嵌りますよね!?

 

助けた子が苛めの対象になるのはよく聞きますし、

権力ない子供に助けさせるより、学校や警察や弁護士に任せた方が遥かに解決になるでしょう。

 

苛めを見かけた子供がすべきは、

被害者を助ける。ではなく、権力ある大人に通報する。が正解じゃないでしょうか!?

 

まずは学校

→学校が対処しないなら教育委員会

→教育委員会も対処しないなら警察とか…

 

学校や教育委員会が怠慢なら

報道機関に公益通報してもいいかもしれませんね。

 

 

青春の思い出じゃなく、命の危険

 

警察や弁護士が介入すべき苛め。

 

なのになぜ権力も専門性もない子供に「助けてあげろ」なんて言うのか!?

 

恐らく、「子供だけで解決できる」という意識があるんじゃないでしょうか!?

 

翌日には仲直りできる喧嘩の延長線だ! との意識があるんじゃないでしょうか!?

 

喧嘩や恋愛みたいに、傷つき乍らも成長していけるなら、

大人、まして権力を持った大人が介入すべきではないでしょう。

 

だけど、苛めは死人が出ますからね!

 

死ななかったとしても、一生、心に残る傷になりえます。

 

成長痛じゃないんです!

 

取返しがつかないんです!

 

その時は傷つくけど、

大人になると ‘青春の甘酸っぱい思い出’ になる。

とか、そんな次元じゃございません。

 

その辺、大人への意識改革や再教育が必要なんじゃないでしょうか!?

 

 

終りに

 

最近は「苛められてる子を助けてあげろ」とは聞かなくなりました。

 

そういう議論が真に減ってるのか?

私がそういう議論を聞けなくなっただけで、議論は減ってないのか?

は不明です。

 

苛めは子供だけでは解決できない

権力や専門家の介入が必要

 

こういった意識が広まってるのであれば、

私は歓迎です。

 

警察沙汰や法律沙汰になる。という危険は、抑止にも有効だと信じます。

 

被害者だけでなく、第3者にとっても、少しでも害が減れば。と思い、書きました。

 

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