日本国憲法における新しい人権

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日本国憲法における新しい人権

 

日本国憲法を全部熟読した人は少ないでしょう。

 

習う人は、小学校から社会科でちょくちょく憲法を習いますので、

憲法はさも色んな内容が書かれてある、分厚い本の如く思ってる人もいるのでしょう。

 

所が、憲法はたったの103条しか条文数がありません。

 

103条って、結構ペラペラですよ!

 

それだけしか条文がないって事は、憲法には書ききれてない事がいっぱいあるって事でもあるんです。

 

そんな中でも、今回は所謂 ‘新しい人権’ について書いていきたく。

 

 

新しい人権とは

 

新しい人権とは、ざっくりいうと憲法には書ききれなかった人権です。

 

先程から書いてる通り、憲法は103箇条の薄っぺらい法なので、

全ての人権を網羅できてる訳ではありません。

 

特に、時代が進むと、それまで考えられてなかった権利も人権とする必要があるんじゃないかとされたりもします。

 

それらを総称して「新しい人権」といいます。

 

じゃあ、憲法に書いてない権利を人権と認めてよいのか?

 

実は憲法上、全く根拠がないのかというと、

そうでもないんですね。

 

憲法13条に「幸福追求権」という権利が規定されています。

 

漢字の通り、幸せを追求できる権利ですが、

この幸福追求権の一環として、新しい人権を認めてよいのではないか、というのが議論です。

 

この幸福追求権について、私が思ってる事を書きましょう。

 

別に誰かに教わったりとかせず、自分の勝手な妄想ですが、

13条は、書いた時は別に大した考えはなかったんじゃないかと思っています。

 

~~権

~~権

その他

…みたいな感じで、とりあえず書いた感を凄く感じます。

 

当の起草者達は、将来まさか13条がこんな重要な条文になるとは思ってなかったでしょうね。

 

繰返しになりますが、これはあくまで私の勝手な妄想ですよ!

 

外れてても責任はとれないので、その点はあしからず!

 

 

新しい人権を認めるマイナス面

 

幸福追求権を使う事で、それまで意識されなかった権利が人権として認められる余地が出てきました。 

 

なるほど、それはそれでめでたし! かというと、

そうでもないんですね。

 

物事は一長一短ですから、

新しい人権を認める事のマイナス面も当然ございます。

 

他人の人権の制約

 

例えば日照権を人権とすると、

高層ビルを建てる自由が制約されます。

 

嫌煙権を人権とすると、

煙草を吸う権利が制約されます。

 

この様に、新しい人権を認めるのは、他人の他の権利の制約と表裏一体なのです。

 

人権の価値が下がる

 

「数が増えれば値打ちが下がる」と授業で習いました。

 

習った以上、書きますが、

正直、人権なんてのは、市場の様に受給の均衡で価値が決るものではないと思うのですが…

 

裁判所の恣意的判断

 

後で見る様に、新しい人権は裁判判例によって築かれてきました。

 

となると、実際問題、新しい人権を認めるかどうかは裁判所次第という事になります。

 

いいんじゃないの!? と思うかもしれませんが、

元来、国民の権利義務に関わる問題は民主主義の機関である国会によって、話合いで決られるべきです。

 

人権という重要な問題を、余り民主的とはいえない手続きで決めていいのか、という点が問題視されてるんですね。

 

 

「新しい人権」と認められた権利

 

プライバシー権

 

プライバシー権は新しい人権の代表格の1つです。

 

プライバシーというと、何となく「自分の情報を覗かれない権利」という印象があります。

 

一昔前はそうでしたが、

今では単に情報を覗かれないのみならず、自己情報の開示や訂正を請求できる権利まで含めて解されます。

 

上記からも分りますが、プライバシー権には2側面があります。

 

詰り

  • 自由権的側面
  • 社会権的側面

です。

 

単に覗かれない権利は自由権的側面です。

 

自由権的側面は「ほっといて」って事ですから、

ことプライバシーに当てはめるなら「覗かないで」って事ですね。

 

社会権には積極的な行為が求められます。

 

なので開示や訂正を求めるのは社会権的側面となります。

 

 

判例

 

ここからはプライバシー権に関わる判例をみていきましょう。

 

 

宴のあと

 

自衛隊の駐屯地で切腹したかの有名な三島由紀夫が書いた小説「宴のあと」

 

「宴のあと」はどうやら、実話を元にした小説らしく、

モデルとされた人が「私の私生活をおおっぴらにしやがって!!」と訴えたのがこの裁判です。

 

訴えが提起されたのが1961年(昭和31年)と大分古いのですが、

判決としてはプライバシーが認められ、損害賠償の支払と相なりました。

 

この判決は、裁判所が初めてプライバシーを認めた判例として有名です。

 

 

前科照会事件

 

会社を首になった人がいて、

その人が会社を相手に裁判を起こしてました。

 

その際、会社側の弁護士が、首になった人の前科を調べたんです。

 

どう調べたかというと、

役所に聞きました。

 

役所も役所で、あっさり答えたんですね。

 

そこで首になった人が「何を勝手に人の前科バラしとんのじゃ!」と怒って、役所を訴えました。

 

結果は役所の負け。

 

公権力の違法な行使ですって!

 

本人の同意なく第3者に個人情報を流したのがプライバシーに反する、という事ですね。

 

 

ノンフィクション「逆転」

 

沖縄で米兵と喧嘩した日本人がいました。

 

刑が確定し、服役もしましたが、

服役後、その人は東京で働いていました。

 

上京したのはいいんですけど、

その人、勤務先にも配偶者にも、自分が米兵と喧嘩して服役していたのを隠してたんですね。

 

それを、とある作家が「逆転」という題名のノンフィクションで発表し、暴露されたんです。

 

そこで過去を暴露された人が「なに勝手にバラしとんねん!」と訴えたのです。

 

判決は、過去の暴露はプライバシー権の侵害、とされました。

 

前科照会事件と同じ理屈ですが、

故なく自分の情報をばらされるのはプライバシーの侵害に当ります。

 

今では当り前ですが、それはこうした判例によって築かれてるんですね。

 

 

江沢民講演会

 

中国政府の偉い人に江沢民さんって人がいましてね。

 

その人が早稲田大学に講演会に来たんです。

 

講演会に際して、早稲田大学は受講学生の名簿を作って、その名簿には住所やら電話番号やらを書かせてたのですが、

警視庁がその名簿の提出を求めてきたんです。

 

理由は、警備の都合、との事。

 

警察の要請ですから、大学としてもさしたる疑問も持たなかったのでしょう。

警視庁に名簿を出しました。

 

この時、名簿の提出について、受講学生側の許可を取らなかったんです。

 

それから1年程たって、学生の許可を得ずに名簿を警視庁に出したのが、どうやってバレたのか、報道されました。

 

個人情報入りの名簿が勝手に提出されていたのを知った一部の学生が

「なに勝手に個人情報をバラしとんのじゃ!」

と、大学を訴えたのが今回の裁判です。

 

判決は、大学の負け。

 

損害賠償を大学が支払いました。

 

 

肖像権

 

肖像権とは、自分の容貌や見だりに対する権利です。

 

もっと突込むと、「勝手に撮影されない権利」です。

 

肖像権の説明ですが、判例を紹介しましょう。

 

京都府学連事件

という判例です。

 

どんな判例かというと、

大学生がデモ行進するんですね。

 

デモ行進するなら、事前に許可が必要でして、

学生達も許可は貰っていました。

 

所が、デモしてる途中にヒートアップしたのか、許可条件に違反したデモをしだして、機動隊と揉めるに至りました。

 

いざこざの最中に警官を怪我させた為、公務執行妨害で起訴されました。

 

これの何が肖像権と関係するのかというと、

デモ隊がいざこざをおこすのを、警察が証拠として撮影してたんです。

 

当然、揉めてる最中の撮影ですから、事前の許可どうこうの話になる訳なく、学生側としては「何勝手に撮影してんねん!」と怒り炸裂!

 

「勝手に撮影された違法捜査だから公務執行妨害なんて成立しない!」

と、こう言い張りました。

 

この裁判に於て、判例は、意外にも肖像権を認めました。

 

「何人も、その承諾なしに、みだりにその容貌•肢体を撮影されない自由を有するべきである」

んですって。

 

一応、言い訳がましく、

「これを肖像権と呼ぶかどうかは別として」

といってますが、

それでも一般的には、判例は肖像権を認めたと解されています。

 

じゃあ学生は無罪かというと、有罪なんですね(笑)

 

詰り、警察官の撮影は合憲であって、肖像権侵害でない、と。

 

ここで判例は、撮影の合憲要件を示しています。

 

1.現に、又は間がな状況で

2.証拠保全の必要性•緊急性があり

3.手段が相当である

 

本件はこの3つの要件を全て満たしてる為、合憲です。

 

これはあくまで1つの判例にすぎませんが、

ある事件が肖像権違反かどうかを判断する際、上記3要件を使って分析するとよいでしょう。

 

例えば、車の速度超過で、オービスで撮影するのは肖像権に照らし合憲でしょうか?

 

オービスでの撮影は速度超過の正にその瞬間を「現に」撮影しています。

 

速度超過は、その瞬間を証拠として抑えなければならないので、「必要性•緊急性」もあります。

 

道路で速度超過を撮影してるだけなので、手段も相当です。

 

これが

家の中を望遠で除き込んで、とか

裸にさせて、とか

だったら、手段は不相当でしょうが。

 

この様に、京都府学連事件は、肖像権と、その合憲要件を考える上で非常に重要な判例です。

 

 

名誉権

 

名誉権とは、濫りに社会的評価を下げられない権利です。

 

定義は上記ですが、実質をいうと ‘バカにされない’ 権利とか ‘罵倒されない権利’ として機能しています。

 

名誉権の解説に於て、紹介したい判例があります。

 

「北方ジャーナル事件」です。

 

ある人が北海道知事選に立候補しようとしていました所、

「北方ジャーナル」という雑誌が、その候補者を罵倒するかの如き記事が書かれてあるのが分りました。

 

どうやって分ったのかは不明ですが…

 

そこで札幌地裁に、出版の差止めを求めました。

 

出版差止めの仮処分が認められたので、北方ジャーナル側が怒って訴訟を提起しました。

 

判決は、出版差止めは認められました。

 

北方ジャーナル側は、「表現の自由」の侵害たる検閲だと主張しましたが、認められませんでした。

 

この判例の注目すべきは、名誉権が表現の自由を抑えた点です。

 

憲法上の人権を制限できるのは、憲法上の人権だけです。

 

単なる法律上の権利というだけでは、憲法上の人権を制限できません。

 

名誉権が、憲法上の人権である表現の自由を抑えたという事は、

論理的には、名誉権が憲法上の人権である事を意味します。

 

判例ははっきり「名誉権は憲法上の人権です!」と書いてはいませんが、

解釈によって、名誉権が憲法上の人権と認められたと考えられています。

 

 

「新しい人権」とは認められてない権利

 

 

環境権

 

環境権とは、

良好な環境の下で生活する権利です。

 

公害や環境保護等で主張されます。

 

学説上は、環境権が憲法上の人権だというのは、ほぼ通説です。

 

一方、判例は、環境権を憲法上の人権とは認めたがりません。

 

個々人への直接的で具体的な被害(例えば明らかな騒音)等があれば、民事上の損害賠償請求は判例も認めています。

 

但し、あくまでも民事上の損害賠償であって、

憲法上の人権とは認めていないんですね。

 

判例が、環境権を憲法上の人権と認めたがらない理由として、授業では「権利の内容が不明確だから」と習いました。

 

確かに ‘良好な環境’ の捉え方は人によって違うでしょう。

 

静かな環境、緑豊かな環境…

 

「例えば駅前のストリートダンスを騒音と捉える人がいるかもしれない」

「例えば金持ちしか住まないに大衆食堂が出店したら、それだけで「景観が悪くなる」と主張する人がいるかもしれない」

と…

 

んんん…

まあ確かに、そんな、言掛りな如きを人権としては認められないでしょうな…

 

 

自己決定権

 

「自分の事を自分で決定する権利」と習いました。

 

その際に習った判例として「エホバの証人輸血拒否訴訟」です。

 

「エホバの証人」とは、基督教系の新興宗教団体です。

 

エホバの証人は、血について教義上、独特な思入れがあり、

輸血を忌み嫌います。

 

ある人が、エホバの証人の信者なのですが、癌だったと思いますが、の手術の必要が生じました。

 

エホバの証人は、輸血を嫌うので、

この人も手術の際に「輸血なしで治療して下さい」と条件づけました。

 

「輸血される位なら死んだ方がましです」

みたいなのも言ってたっぽいです。

 

そこで、過去に輸血なしで治療した経験のある医科研(東大の附属病院)に入院しました。

 

所が、治療中に輸血の必要が生じました。

 

そこで、医科研が輸血しちゃったんですね。

 

結果、患者さんは助かったんですが、

嫌がってんのに輸血された、と、国(医科研は、当時国立だった東大の附属病院)を相手に訴えた、のがこの訴訟です。

 

結論は、患者の勝ち。

 

国は賠償金を支払いました。

 

この判例で注意しなければいけないのは、

あくまで民事上の損害賠償が認められただけという点。

 

憲法上の人権かどうか迄は考慮してませんのでご注意を!

 

 

その他

 

他にも軽く習ったのがありますので、纏めて紹介します。

 

濁酒

 

日本では、お酒を作るのには原則、免許がいります。

 

自家製で梅酒なんかを作る場合、例外規定はありますが、

それでも、アルコール度数20%以上の酒で仕込まなければならない等、酒税法により細かい規定があります。

 

この裁判の被告は、自分で飲みたかったのですが、酒税法に違反する濁酒作りをやった為に捕まったのです。

 

そこで、被告は、

「自分で飲む為に酒を作る位、自由じゃないか!

幸福追求権違反だ!」

と主張したのですが、

裁判所はあっさりと被告の有罪を確定させてしまいました。

 

静穏権

 

地下鉄の広告用の車内放送がうるさいと訴えた裁判です。

 

判例は、「一般的にはそれ程嫌悪感を抱かせるもんじゃないでしょ!」と一蹴しました。

 

まあ、気になる人もいるかもしれませんが、

「嫌だったら他の手段で移動しろよ」という趣旨なんでしょうね。

 

「公共料金で安く乗ってんだから、それ位我慢しろ」と…

 

訴えた人には相応の困惑があったんでしょうが、

傍から聞いてたら言掛りと捉えられてもおかしくない訴訟ですな。

 

個人鑑賞目的の猥褻物輸入

 

日本の刑法では、猥褻物の販売•陳列を規制しています。

 

逆にいえば、個人で見る分には、規制はございません。

 

男性の皆さん、よかったですね。

 

まあ、今では ‘大人の’ サイトが林立してるのでそんな必要はないんでしょうが、

昔は外国から、そういうビデオを輸入したりしてたそうです。

 

その輸入が、猥褻物の販売や陳列に引掛るんじゃございませんか?

というのがこの論点。

 

輸入する人は当然、言訳しますよね。

 

即ち

「このビデオは自分で見る為の物であって、

売ったりする物に非ず」

と。

 

規制はあくまで販売や陳列ですから、

個人鑑賞までは規制していません。

 

「個人鑑賞目的の輸入だから当局の規制には引掛りませんよ」

と、こういう論法ですね。

 

でも残念ながら、個人鑑賞目的だったとしても規制には引掛るんです!

 

権力の乱用の如き気もしますが、

心の内は読めませんから、本当は販売目的だったとしても「個人鑑賞用です!」ってシラきられるかもしれませんし、

当初は本当に個人鑑賞用だったとしても、いらなくなったら中古で売るかもしれません。

 

本とかなら、中古なんて幾らでもあるでしょ!

 

というので、

目的がどうであれ、1度輸入されてしまうと、販売や陳列の恐れがあるので、輸入そのものを規制せざるをえないんです。

 

だから個人鑑賞目的だったとしても、猥褻物の輸入規制は合憲です。

 

 

終りに

 

如何でしたか!?

 

今回は憲法学の論点

「新しい人権」

について書きました。

 

纏めると、

新しい人権として認められたのは、

プライバシー権、名誉権、肖像権

 

新しい人権としては認められなかったのは

環境権、自己決定権、お酒を作る自由、静穏権、猥褻

 

自己決定権については、エホバの証人で、民事上の慰謝料は認められましたけどね…

 

憲法上の人権として認められたのは、プライバシー権、名誉権、肖像権の3つだけですから、

逆にいえば、この3つを覚えれば、後は否定なんで!

 

暗記だけでいえば上記だけで結構です。

 

ある権利を「新しい人権」として認めてよいか考える際、

1.他人の人権を不当に制約しないか

2.民主主義の手続きでなく、裁判所に判断させてよいのか

この2つを吟味すれば、より実践的な判断ができるでしょう。

 

 

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